───僕は毎朝、電車の中で彼女を探す。
初めて彼女を見たのは高一だった。同じ時刻、同じ車両に彼女は乗っていた。名前も知らない彼女の姿。それを探すのが僕の楽しみになっていた。高3になった今でも続いている。見てるだけ。それで幸せ。もう、立派な変態さんだな……僕は。とはいえ、この生活も高校を卒業すれば終わってしまう。告ることすらできないだろう。でも、それでいい。あんなに可愛い彼女である。彼氏がいるのに決まってる……。
春休み、夏休み、冬休み。僕はそれが嫌いだった。だって、そうだろ? 何日も彼女の姿が見られない。高校最後の夏休み。窓越しで空が荒れ狂う。僕は二階の自室から、強風で流れる雲を眺めていた。今日は一日、台風日和で外に出ることもできやしない。あ。台風なのに……コロッケ買うの、忘れてた(汗)
風の音に紛れて鈴の音か? ベランダの隅から聞こえる鈴の音。不規則に鳴るチリンチリン……それがとても気になって、窓を開けると猫がいた。僕の部屋を安全地帯だと認識したのか? 音も立てずに、僕の部屋に飛び込む猫。赤い首輪の白い猫。控えめに言っても、毛並みよき美人さんだ。僕は猫に話しかける。
「こんにちは。雨宿りしていくかい?(笑)」
僕のベッドの下に潜り込んだまま、白い猫は静かに辺りの様子を伺っている。ピクリとも動かずに……。
───三十分後……。
白い猫は僕のベッドの上で腹を出して眠っていた……。パートに出ている母に、猫の事情と画像をメールした。家に勝手に動物を持ち込んだのだ……母の地雷を踏み抜いて、ヒスでも起こされたら大変だ。母上様の帰宅と同時に、僕の部屋が賑やかになった。カリカリと猫砂が入ったレジ袋。それを持ったまま、母は猫の頭を撫で回している。
「あら、お腹はすいていませんかぁ~? カリカリ買って来ましたよぉ~。はじめましてぇ~、真っ白ちゃんでちゅねぇ~」
当たり前だろ? 白猫なんだから……とは言えない。
にしても、デレデレの猫なで声だ。母のこんな姿を見たことない。僕は段ボール箱で猫のトイレを作り、その中に猫砂を入れた。すると、猫はトイレの中で用を足した。きっと我慢していたのだろう……。
「あらぁ~、賢いねぇ、賢い、賢い」
その夜、母は僕の部屋から離れなかった。翌朝、台風は過ぎ去った。猫は自分でサッシ戸を開けて自分の家に帰ったようだ。二十センチ開いたサッシ戸、残ったカリカリ、猫砂に残された尿の跡。それは確かに、僕の部屋に猫がいた証であった。一晩だったが、いなくなると寂しいものだ……。
その日を境に、猫は僕の部屋に遊びに来るようになった。その度に、余ったカリカリを猫に与える。しばらく僕のベッドの上で昼寝をしてから、トイレもちゃっかり使って家に帰る。そんな生活が一週間ほど続いただろうか? 猫の首輪にメモ紙が巻かれていた。開いてみると手紙だった。
───もしかして、うちのケイティちゃんがお宅にお邪魔などしていませんか?
シロクマのイラスト柄のメモに書かれたメッセージ。その裏側に返事を書いて猫の首輪に巻きつけた。それを切っ掛けに、ケイティは僕に手紙を運ぶようになった。どうやら飼い主さんは同世代の人らしい。他愛もないやり取りを続け、時には恋バナっぽい話もした……僕の叶わぬ恋バナも。
夏休みの最後の夜。全国の高校生は、どんな気持ちで最後の夜を過ごすのだろう? 明日になれば彼女と会える───それだけで、僕の心臓は高鳴った。もう、今夜は眠れそうにもない。
翌朝、同じ時刻の同じ車両。そこに彼女の姿があった。彼女に気づかれぬよう、彼女が見える場所を選んでつり革を持つ。発車時刻ピッタリに電車が動き出すと、彼女は席を立ち歩き始めた。僕に向かって真っすぐに。僕の前で彼女が止まる。僕の心臓も一瞬止まる。効果音にすればズギュンな感じ。軽く会釈した彼女。その後、麗しの唇が動き出す。ズギュンがドギュンに変化した。
「いつもケイティがお世話になっています」
「え? えーーーー!?」
それが、妻と初めて交わした会話だった……。
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