小説の書き出し文について考察中にゃう

新田町のひまわり畑2020
小説始めました

 2023年8月18日。

 まぁ、普通にピンチである。だってそうでしょう? 全然、小説書けてないもの。一行も書けてない。書けばよいのに書けないのよね(汗) 

「えっ! そうなの?」

 膝から崩れ落ちるお師匠様の姿が目に浮かんで、今日もサヨリは元気です。

 これじゃダメ!

 『邂逅』執筆時、本丸のプロットは9割ほど完成していた。邂逅は時系列どおりに話が進む。だから、即興で僕でも書けた。けれど、本丸ではそうはいかない。現在、過去、未来、渡辺真知子くらい迷い道クネクネなのだ。コレが分かるアナタ、そりゃもう、お友達です(笑) 行け行けドンドンで書き進めるのには、僕の頭が着いていけない。考え抜いたプロットが僕には必要不可欠なのである。

 それに加えて処女作『邂逅』、それがまるでダメな事も理解している。執筆後、お師匠様からのアドバイスをもらった。誤字脱字から始まり、基本的な執筆ルールの手解きも受けた。さらに、圧倒的語彙不足を補完すべく、辞書をはじめとする書籍まで頂戴したくらいである。つまり、修行の時間が必要で実質的な執筆開始は8月に入ってから。それでも月末に間に合うくらいの自信はあった。

 さて、書きましょう。

 いや、チョット待て!。

 そのタイミングで気づいてしまう。違和感というより嫌な予感。邂逅が一話止まりで読まれていない。こりゃ不味い。どんなに自分で『よくできました』と思ったとて、読者が離脱するのでは意味がない。とは言え、自己満足で書く小説である。別に読まれなくても構わない。

 そんなお花畑にブレーキを掛けたのは、もうひとりのお師匠様からの絵はがきである。このお方は、僕の中で最上位ランクに位置する人物。だから、はがきの内容は天からのお告げでもあった。

 アナタの文章を多くの人に認めて欲しいです…

 その瞬間、割仕上げたプロットを躊躇なく白紙に戻した。ストーリーや情景、光景は使うけれど、読者をつかむ書き出しだけは時間一杯まで悩むと決めた。この壁が異常に高いのだけれど。

 話のどこから書き出すか?

 時系列どおりに書き進めれば、たぶん、読者の辛抱が続かないだろう。離脱率が高くなるのは火を見るよりも明らかである。面白くなくても、心が動かなくても、感動できなくても構わない。誹謗中傷を喰らおうが、最後まで読んでもらえますように。それが僕の目標に変わった。

 それに加えてもう一個。

 僕の理想はショート・ショートの集合体。どの話も独立したエピソードに仕上げたい。これはブロガー特有の考え方である。ブログに書かれた記事。その主なルートは検索エンジン経由である。偶々、検索結果に表示されたページが読まれ、面白ければ次を読む。この行動パターンは鉄板である。つまり、全てのエピソードに対して、何らかの爪痕を残せるように書きたい。それは自分勝手なエゴだと分かっていても、ブログというフィールドから小説を書けばそうなる。そうなってしまうのだ。

 そう考え始めると、執筆に対するハードルの頂点が見えないくらい高くなる。でも、テッペンが見えなければ、見えるところまで飛べばよい。自分で決めた期限まで、まだ半月ほど残っているのだ。慌てず、騒がず、もう少し、じっくりと考えよう。

 よつぼし畑のむこう側。

 あの人の背中が見えました。

 泣いていました。

「ないてるの?」

「泣いてねぇーし」

「ないてるよ」

「そんな事より、うどんでもシバキに行っちゃおうぜ(笑)」

 あれは十年前。私が五歳になる少し前の出来事でした。

 漠然とではあるのだけれど、こんな感じで滑り出そうか? まだ、確定ではないのだけれど(笑)

コメント

  1. ショート・ショートの集合体っていいですね。例えば1話完結型の漫画はどこから読んでも楽しめますが、結局は全て読みたくなります。子どもの頃は特に1話完結型の方が好きでした。だって、完結型ではない連載は大抵ちょうどいいところで終わるでしょ?「もし今、死んだら続きが読めない!」と思ってストレスでした。雉虎さんの小説は僕好みかも? とても楽しみです(笑)

    • 「もし今、死んだら続きが読めない!」って漫画、僕は『修羅の門』がそうでした。陸奥圓明流と不破圓明流の対決の頃だったかな? 本丸には全編と後編との区切りがありますが、それを過ぎれば一話完結が何処までも続けられます。それでも本編すべてが一話で完結していて、他のエピソードも読みたいな。そう思ってくれたらうれしいです(笑)

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