先日、たねをまいた。
セルトレイに玉葱のたねを仕込んだ。それは根気を要する作業であった。あのチマチマとした作業は、やっぱり嫌いじゃ。
コツコツとチマチマとは別物である。コツコツは苦にならない。コツコツは足し算だから。雑にやっても何とかなるもの。
でも、僕の中のチマチマは違う。セルトレイの小さな穴。その穴の中心に小さな粒を乗せてゆく。それが結局、128個の倍もあった。
若いころにはそれでもよかった。でも、視力の衰えがイライラさせる。だってそうでしょう? 穴から種が外れるのだ。ピンセットを使っても、なお外すなんてどうかしている。
最悪なことに、玉葱のたねと土の粒との見分けがつかない。僕にそれが見えてない。そんなのが三回も続けば我慢の限界。〝あーーーーーー〟っとなって、今日もサヨリは元気です(笑)
この作業は僕には向かない。ムーミンだってこっち向かない。それを乗り越えての玉葱のたねまき。それをようやく終了させた。
それは、一時間にも満たない時間であったけれど、割と心にストレスが溜まった。
去年も思った、今年も思った、たぶん、来年も思うのだろう。
このちっこいのが、あんなにデカくなるものか?
農業のプロからすれば当たり前。幾ら僕でもそれは分かる。でも、よくよく考えてみて欲しい。
たとえば、いちご。
あの、いちご一粒。その中に、無数の種が備わっている。その粒の大きさ、僅か数ミリ。
あの種が発芽して、葉が出て、茎が伸びて、大きな苗へと成長する。巨大化という観点で見れば、いちごも、トマトも、ナスも、きゅうりも。あいつら全部ウルトラマンだ。
巨大化指数、仮に千倍。
人間の赤ちゃんに、その巨大化指数を掛け合わせたら、体長数百メートルにもなってしまう。
その意味で、毎回、種を仕込むとき、僕は、毎回、驚いている。
〝おわかりだろうか……あり得ない?〟
そんな気にもなってしまう。苗から育てると気づかない。種から育ててはじめて気づく。どんな野菜でも収穫時になると考えてしまう。
〝なんで? あの小っこいのが、こんなにデッカく育つんか? お前らいったい何者じゃ?〟
これが、自然の奥深さ?
たしかに、魚だって、虫だって、かなりの倍率の成長を遂げる。哺乳類の常識を、当てはめるのが無理なのか?
つーことで、この秋も種をまいた。やった野菜、はじめての野菜の種をまいた。
〝種、ちっちぇ~!〟
毎度、毎度。そんな記憶もすっかり忘れて、収穫時には同じことを思うのだろう。
〝なんで? あの小っこいのが、こんなに大きく育つんか?〟
収穫の喜びより、先に訪れる小さな疑問。この答えは永久に謎なのだろう。「それは、そういうもんや」と、いずれ割り切るようになるのだろう。
でもたぶん、そうならない。
だってそうでしょう? 率直に、この疑問を問いかける。農業のベテラン、ビギナーを問わずして、同じ答えが返ってくる。
「ほんまやな? それ、ウルトラマンやん?」
もしかして、ウルトラマンは植物系の宇宙人なのかも知れません。あの巨大化は、やっぱり、僕の中ではありえない(汗)
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