【昭和の】三越大蝋人形展【想ひ出】

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昭和の教室
雑記・覚書き

 巨大な水車がそこにあった。

 水車をタイヤに例えるのなら、タイヤとアスファルトとの接地面。水車に水を当てる部分。その面に沿って海老反り姿勢。両手両足に打ち付けられた太い釘。回転している痩せこけたオッサン。それが昭和の三越大蝋人形ろうにんぎょう展、クライマックスの展示物であった。

 こどもの頃。まぁ、昭和の話だけれど。三越は特別な場所であった。春休み、夏休み、冬休み。何かしらのイベントが五階だか六階で繰り広げられていた。大昆虫展、大恐竜展、大アマゾン展…。必ずと言ってよいほど『大』という冠が添えられてる。その、どれもこれもが魅力的に見えた。

 三越の夏は特別で、テレビの告知CMが頻繁に流される。真冬のハウスシチューくらいの頻度があった。嫌でもイベント情報がインプットされてしまう。

 けれども、時は昭和である。そんなところへ連れていって貰えるはずもなく、こちとらガッテン承知の助で、おねだりする事すら一度もなかった。おもちゃ屋の前で泣いた僕だけど、イベントへのおねだりは一度たりともした記憶を持ってはいない。

 昭和の三越は特別で、屋上には遊園地、遊園地の前にはレストラン。その横にはペットショップが配置されている。それを目にするのは数年に一度であった。

 三越では、ライオンの銅像を決まって眺めた。あの入り口で寝そべっている子。好きとか嫌いとか、そんな感情は全くなかった。ただライオンが珍しいだけであった。何で三越にライオンがおるん? それが不思議だったのだ。だってそうでしょう? 白と赤の包装紙。ヘンテコな模様に意味があるのか? 僕にとっての三越は、謎多きデパートなのだ。

 そんなある日。僕が小5か小6の頃である。とつぜんに、弟共々、母親に連れていかれたイベントがあった。それが、大蝋人形展である。

 デーモン閣下の遙か前。今なら等身大フィギアに拷問ポーズを取らせた見世物。こども心にも悪趣味の極みである。

 展示された蝋人形たちは、僕の予想どおりの拷問を受けていた。まだまだ、ホラー映画は未熟である。エクソとオーメンとのツートップ。13日のジェイソン登場はまだ先で、今日もサヨリは元気です(笑)

 会場を進むにつれ、見世物は残虐さを増してゆく。視界が明るいお化け屋敷…。こども心にそう思いながら、僕らは本丸の前で足を止めた。

 からの冒頭の水車である。

 ピタリと止まる客足。その迫力に誰も動かなくなるからだ。騒ぐでもなく、泣くわけでもなく。ピタッとその場に固まってしまう。時間にして1分くらいか…。すると、水車の奥から、

───うゎ!!!!!!!!

 っと、狼男が飛び出した。コイツ、動くぞぉ! 狼男だけが人間である。まぁ、時代が時代。その画期的な演出に度肝を抜かれた。

 こども、大人を問わず、純真無垢だと言わざるを得ません(汗)

 ほんとうに驚いた時、人は声など出せやしない。絶叫にはほど遠い「ぎゃ!」とか、「わぁ!」とか、そんな小さな声が、一瞬だけ疾走する。

 そしてようやく客足が動き始める。あの狼男の仕事は、「驚かす」ではなくて「動かす」であった。客を流すための演出であった。

 この記事に意味はない。昭和の記憶を書き捨てただけである。けれどもし、僕と同じ時代、同じ経験を持つ人がいるならば、こんな記事でも少しはお役に立てるであろう。

 カメラが貴重品だった頃である。たぶん、記録も残されてはいない。残るのは、誰かの記憶の中だけだから(笑)

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