途に倒れてだれかの名を呼び続けたことがありますか。それは僕らの歌姫、中島みゆきのわかれうた。思春期の少し手前でヒットした名曲だった。それが流れるたびにその歌詞が心をえぐった。だってそうでしょう?、それが僕にはあったから。起京堂の前、人だかり、そこで転がり泣き喚いた黒歴史。
───起京堂とはおもちゃ屋の名である。
1970年代、インベーダーゲームが日本を包んだ少し前。琴電瓦町駅から2つの横断歩道を渡ると、そこがアーケード街の入り口である。時は高度成長期、いつだって南新町アーケードの中は芋を洗うような活気があった。店も、照明も、看板さえもが輝いてみえた。
1メートルにも満たぬ視点に広がる大宇宙。その世界から見えるのは、大人のお尻ばかりであった。気を抜けばケツである。でもそこを歩くだけで心臓は揺れた。ダイエーとジャスコの間にあのおもちゃ屋があるからだ。人混みの流れに幼き僕は身をまかす。この流れに逆う事は許されない。それは迷子を意味するからだ。
───ケツ、ケツ、ケツ、あ、お友だち!。
わずか200メートルほどの間に、ダイエー、ジャスコ、東映、松竹、ゲームセンターにパチンコ屋。娯楽と買い物が鬩ぎ合う。とにかく賑やか。それが昭和の南新町の姿であった。大人たちは肩をぶつけながら歩き、ちびっ子たちは僅かな隙間を縫って進んだ。
そこにマナーもクソも無く、誰もが本能と欲望が赴くままに狭い通りを突き進む。その中には自転車も。南新町はいつも縁日、そこには無秩序が放つ美学があった。幼心に危険と隣り合わせのカオスっぷりが大好きで、今日もサヨリは元気です。
食料品はダイエーの地下で、日用品はジャスコでウロウロ。うちの買い物はそれ以上でもそれ以下でも無い。その道中で何度も目にするわかれうた。道に倒れておもちゃの名を呼び続けるガキが転がる。
───こどもだな。
夢と背中合わせの現実は甘くない。オカンがおもちゃを買ってくれる筈がない。そんな幸せ一度も無かった。それ故に冷ややかな目で見下ろしながら通り過ぎる。それが明日は我が身だとも知らずに。
起京堂の前で僕の心を辱めたのが少年サイボーグであった。欲しかったのは少年でなくてジャガーの方。サイボーグシリーズとは男の子の着せ替え人形のようなもの。スケルトンな素体に、仮面ライダーやウルトラマンなどのスーツを着せて遊ぶ人形である。コレが分かるアナタ。そりゃもう、お友達です。
───ナニこれ知らない。
起京堂の前で出会ってしまったスケルトン。このジャガーがなまらカッケー。キャシャーンの愛犬のようなフォルムに足が止まる。止まった足下からマグマのように何か登る。気が付けば、あの時のあの子と同じわかれうた。それと同時にもうひとりの僕がつぶやいた。
───オレの人生が終わったな・・・。
あの日に浴びせた失笑を、今は一身に浴びながら、僕はロボコンくらいがんばった。後にも先にも一度きりの武勇伝。夕暮れどき、夏の終わり、電車の中で箱を持つ。その箱には最初で最後、起京堂の包装紙。嬉しさよりも後悔だけが心に残る。
子供が出来てあの日の事を思い出す。懐かしみと懺悔とが相まって、あの頃と同じように息子と行った起京堂。あんなに大きく思えた店がとても小さくさみしく見えた。トイザらス慣れした息子は反応さえしなかった。
───時代だな・・・。
小さな手のひらを握りしめ、かつて歩いた寂れ果てたアーケード。今があの時代だったなら、この子も道に倒れるのかな?。そう思うと少し吹いた。懐かしみとはそんな所にあるのだろう。「電車乗ろ?」小さな頭が僕を見上げた。
───そのおもちゃ屋も今はない。
コメント
この世は諸行無常と言えども、思い出の場所や昭和の風景が消えていくのを見るのは、寂しくて切ないものですねぇ。それにしても起京堂さん、他県の私には見ず知らずのおもちゃ屋さんではありますが、店名に感服しました。だって、この店の前で倒れた子どもは数知れず‥そんな店の名前に起きるの漢字が入ってるなんて、よく出来てるなぁって思っちゃいます(笑)
転がった方ですけれど、店名の「起」に全く気づきませんでした(汗)。凄い洞察力ですね。僕は第二次ベビーブーム世代ですから確率的にも相当数転がっていたはずなのに、リアルでこの話題を耳にした事、この話題に触れた事は一度もありませんでした。この年齢になったから書けたお話しです。40代なら恥ずかしくて書けなかったでしょう、たぶん(笑)。
いや、とても哀愁漂う文章と
もしかしたら同じ時間、場所で
あのアーケードの雑踏を共にして
いたかもしれない興奮を感じました。
70年代、母親の実家が坂出市文京町
でした。夏はいつも里帰りしては
従兄弟たちと小銭を握りしめ
土曜デーに繰り出し、起京堂はもちろん
駅前?裏?の徳本ビルのゲーセン、
旧ニチイの屋上がキラキラと眩しかった。
なかでも起京堂は本当におもちゃの
殿堂でした。すごく大きく華やかに
見えたお店でした。私はよく
ミクロマンを買ってもらってました。
いま、そんな母親が余命幾ばくもなく
ふと、坂出の楽しかった想い出を
思い、こちらに辿り着きました。
本当に懐かしい記憶を呼び起こす
文章ありがとうございました。
太郎さん、はじめまして(笑)
何もかもが新しくて、
明日になれば知らない何かが世に羽ばたいて、
未来が眩しかった時代でしたね。
ミクロマン…懐かしい。
僕は〝タイタン〟というのを一体だけ持っていました。
磁石でパーツ交換が出来るやつだったかな?
決して今のような裕福ではなかったけれど、
一際輝いて想い出される幼少期が過ごせました。
ほんと、もしかしたら太郎さんとすれ違っていたのかも知れませんね(笑)
お母様との残された時間を大切にお過ごしください。