うどんのかけ(大)も五百円時代

【お知らせ】当ブログではアフィリエイト広告を利用しています。

かけうどん
香川県・うどん・遊び場

 知ってる、それ、嘘でしょ?。

 うどん屋で僕の財布が悲鳴を上げた。うどんの本場、讃岐でリーズナブルなメニューと言えば『かけうどん』である。それは庶民の味方であり強みでもあった。2玉食べてもかなりのお得。けれど、昨今の物価高。その煽りはうどんとて同じである。財布を眺めてため息ついて、今日もサヨリは元気です(笑)。

 次から1玉で我慢しよ。

 高校時代、かけうどんが3玉で150円のうどん屋があった。すべからく、僕らはチャリを飛ばしてうどん屋に足を運んだ。ガンダムはZで、聖子と明菜がツートップ。レコード大賞は矢切の渡し(細川たかし)で、ETの人差し指での挨拶が流行した1983年。これが分かるアナタ、そりゃもう、お友達です(笑)。

 コトデン松島二丁目駅の斜め前。その店は国道沿いに位置していた。記憶では駐車場は無かったように思う。客層は、徒歩かチャリかの思春期世代。1玉100円、2玉も3玉は150円。花も団子もどちらも欲しい、第二成長期が幸せの3玉を選ばない方がどうかしている。天ぷらはガン無視でうどんを食べた。天ぷらは高校生には高嶺の花であった。あれはお金持ちの食べ物。そう思い込んで完全スルー。だから、天ぷらの天の字さえも記憶にすら残さない。

 腹を満たしてナンボであった。

 この経営が成り立つ理由は回転率の高さである。異常なまでの回転率は思春期無には成立しない。席に着きうどんが来たら5分で撤収。客の殆どが思春期のオスと親父であった。記憶の中に女子はいない。とっとと喰ってさっさと帰る。この循環あってこその経営システム。それを崩したのは、多分、マック。

───マック行こ。

 物珍しさと、格好良さと、バイト女子狙いから、金持ち系男子はマックへ流れた。まだファミレスの選択肢がは高校生に装備されていなかった。ファミレスのハードルは今より随分と高かった。だってそうでしょう?、親や近所の大人と鉢合わせでもしたら命取り。それが先生ならそこでゲーム終了です。今なら挨拶程度で終わるのだろう。けれど、昭和の高校生が金を持つ時代ではない。だから、大人たちの追求の手は緩まない。

「何でここにいる?。そのお金、どうした?」

「お小遣いですけれど、何か?」

「何でそんな無駄遣いをする?。早く帰って勉強しろ!」

 どの選択肢を辿っても、結局、怒られるのだ。大人との遭遇確率が高きファミレスは鬼門である。つまり、飲食店には親同伴で行けって時代であった。だがしかし、地味さと価格の安さとが相待ってうどん屋だけは例外的に優遇された。最悪、『おじさんの店です』そんな逃げ道も用意されていた。みんな大好きカラオケの登場は、僕の記憶では3年後の事である。

 150円から500円。

 今となっては、弁当屋と肩が並んだ価格帯である。少し背伸びをすれば、回転寿司にも手が届く。そんな意味からも、うどんもめでたく高級食の仲間入り。うどんを取るか、それとも弁当持参に切り替えるのか。僕はうどんを啜りながら究極の二択を考えていた。銭を払って、店を出て、我に返って我気づく。抜くとか減らすとかの選択肢だってある事に。

 もうね、久々にダイエットでもしようかな(汗)。

コメント

  1. いやいや、昼飯抜いちゃダメですよ。午後も仕事あるでしょ?。これから、暑さも厳しくなるし、ちゃんと栄養とって元気で過ごして下さいね。

    • ですよねー(笑)。ちゃんとご飯食べます。

ブログサークル