───2月22日は猫の日。
SNSやネットニュースで見ない日の無い猫だけれど、その人気を我が物にしたのは2014年以降だと記憶している。
僕は動物は飼わない派の人間。だってそうでしょう?、情が移れば別れが辛いもの。可愛がれば、可愛がるほど最後が辛くて悲しい。
余程の事がない限り、ペットは自分よりも先に死んでしまう。
───やっぱりそれは辛い事
だから、僕はペットを飼うことに賛同出来なかった。
そんな意見など完全に無視され我が家に住み着いたのが、毎度お馴染みサヨリさんである。
───人たらし
彼が少女だった頃の第一印象はこれだった。人間に対する愛想の良さはピカイチで、ひとり、またひとりと家族の心を盗んでいった。
───お前、ルパンか?。歌舞伎町デビューしたらテッペン取れるんじゃね?。
当時、誰もがサヨリちゃんを女の子と思い込んでいた頃の話だ。そのうち息子がサヨリさんの飼い主という構図が出来上がる。いつしかサヨリはうちの猫になっていた。しかし、3年ほど僕とサヨリちゃんとの距離は縮まる事はなかった。
───意識的に距離を取った
飼い主よりも懐かれても困る。可愛いな。そんな気持ちも黙って殺した。その間もサヨリは僕にちょっかいを出して来たのだけれど、僕は頑なに彼との距離を置いた。
そんな息子も独立し、アパート暮らしが始まる。当然のように家の中に猫が残された。飼い主不在の状況でも、彼は自由気ままに住み続けた。
愛猫との始まりはトイレから
ある日、僕の部屋にトイレが設置された。他でも無い、サヨリのトイレだった。
───猫のおしっこは臭い。うん、知ってる。
サヨリのトイレは、家中を転々と移動し、事もあろうか僕の部屋が終着駅になる。真夏の夜の悪夢。アンモニア臭で目が痛い。猫の「ね」の字も知らない僕は、軽く頭を抱える。
───これが世間でよく耳にするアレか。
そこからサヨリちゃんと僕との生活が始まった。パソコンに向かえば、PCと僕との間に入って仕事の邪魔をする。テレビを見ていると画面の前に座ってドラマが見られない。
午後10時になると散歩の催促。目覚めれば猫のお尻が目の前に。僕が寝入った時間から始まる夜の運動会。ガラス窓の向こう側では、近所の野良猫がニャーニャーと呼びにくる。
振り向けば網戸にへばり付いた猫がこっちを睨む。お前、カブトムシみたいだな。1分おきに何かを始める子だった。見ているだけなら面白かった。
ちゅーるや猫の日を知ったのは今から6年前。このブログと同時にTwitterを始めてから知った。猫の知識はネットとTwitterで学んだ。毎日、よそ様の猫ツイートを見て肌で覚えた。
───猫って爪を切るものなんだ。やってみるさ。
そんな感じで色々試しながら記事に書く日々が始まる。今ではリアルで猫の事を訊かれる事も多いのだけれど、その知識の殆どは、その当時に調べた事だ。その頃、どこの子も、やんちゃで、元気で、血気盛んで、みんな可愛かった。
───猫の寿命は15年。
そして今、サヨリちゃんは歳を取った。僕の年齢を追い越した頃から、彼をサヨリさんと呼ぶようになる。猫は飼い主に色々なものをくれる。僕も彼から沢山のものを貰ってきた。
───今は、そのお返しの最中である。
古くからお付き合いのある、多くのフォロワーさんち猫が虹の橋を渡った。彼の余命もあと数年だろう。年に1度の猫の日では物足りない。毎日がおご馳走で、毎日がおもてなし。
だからうちは毎日が猫の日なのです。
Related Posts