言葉の同意語重ね合わせセット

#ホラーと小説は相性が悪い
木曜日(雑談)

 木曜日は雑談の日

 僕の小説の原点はブログである。

 ブログ無しでは小説はなかったし、ブログを書かなければ小説も書かなかった。ニワトリが先かタマゴが先か。もちろんブログが先である。

 ブログを書いていなければ、今ごろはYouTube三昧のだたのおっさん。もしくは、ネトフリ三昧の日々だろう。それとも、ネトゲに残りの人生を費やしていたかもしれない。課金なんかしまくりながら……。それともやっぱり、どこかでブログを書くのだろうか? あの子と出逢わなければ、人生を何度繰り返しても小説を書くことはなかっただろうけれど……。

───ブログと小説とは文体が違う。

 それは明白な事実である。けれど、僕の書く小説の中には、嫌でも書き慣れたブログ構文が顔を出す。それは、しれっと、まるっと、小説の中に滲み出る。便箋に落としたインクが広がるように……。とはいえ、小説に手を伸ばしても一年未満の僕である。長年の習慣には勝てなくて、今日もサヨリは元気です(笑)

───同意語を重ねる傾向がありますね。

 相棒のメールで、それに気づく……と言いたいけれど、この手法は意図的であった。それは、Google騙しのSEO戦略だったから。

 たとえば雪……今の季節だから雪にしよう。

───今日は雪が降った。

 ブログならこれでいい。ブログが体験を伝える装置であるのなら、新聞記事のように淡々と簡潔に、事実のみを書くのが正解だ。だがしかし、とある事情で書き方を変えた。

───今日は雪が降った。ドカ雪ではない。でも、細雪と呼ぶには些か足りない。ラーメンに胡椒をかけるような……そんな物足りない程度の雪が降った。大きな災害もなく温暖な気候。高松の雪などこんなものだ。仮に3センチでも雪が積もれば、雪路に慣れない僕らの交通機関は、いとも簡単に麻痺してしまう。

 こんな具合に……。

 それでは、何故そうなるのか? どうして、回りくどく書く必要があったのか? すべては検索エンジン最適化。SEOのためであった。これが、Google検索上位表示に優位に傾くからやったことであった。

 皆さんは、こんな話を耳にしたことがあるだろうか?

───昔のGoogle検索は面白かった。新たな発見が山ほどあった。ネットサーフィンの毎日が楽しかった……と。

 ユーザーは検索窓にキーワードを入力して情報を得る。SNSに覇権を奪われたとはいえ、それは今でも同様である。今と昔との大きな違いは、ウェブページに書かれた文字列を優先的に上位表示していたことだ。どこにも存在しない、新語を作って埋め込む手法があったくらいだ。そして、あえて誤字脱字を仕込んだこともあったほど。

 SEOを予測と推理で攻略していた時代の話だ。

 たとえば、高松に雪が降ったとしよう。そして、地元の生情報。誰かのブログ記事を探すとしよう。

───高松 雪

 このキーワードは誰でも使う。そして、高松の雪事情を書いたブログ記事にも必ず登場する。つまり、キーワードに対する競争率が高くなる。多くのブロガーが使うワードなのだから当然である。

 その一方で、

───高松 ドカ雪 細雪

 このキーワードになると競争率が俄然低くなる。キーワードに〝ラーメン〟や〝胡椒〟が含まれたなら、上位表示は確実だった。つまり、記事の中に〝ドカ雪〟と〝細雪〟の文字があるだけで、上位表示の可能性が上がるのだ。つまり、同意語と反意語を交えた文章で書くと有利に傾く。だから、不要であっても、面倒であろうとも。可能な限りの単語を連ねた。これが僕のブログ記事の同意語重ね合わせセットのカラクリである。

 コロナ禍の少し前、この手法も終止符を打つ。Googleアルゴリズムが大きく変化したからである。これまで積み重ねた文字の城。その梯子を外される形になったのだ。

 コロナ禍に入ると状況は更に悪化した。ネットの椅子取りゲームの参加者が増えたからだ。この頃、将来への不安からYouTubeへの参入者が増加した。それに伴いブログ人口までもが一気に増えた。コロナが戦国乱世を加速させた───それが、地獄絵図に僕には見えた。そして、SEO神話の終わりを察知した。

 その予測は、今の検索結果のとおりになった。これからは、個人ブログへの参入は茨の道だ。もはや、従来の小手先だけのテクニックは通用しない。ブログで成功を収めたいのなら、個性とか独自性が要求される時代になった。一気に素人参入のハードルが上がり、文章のプロが本腰を入れる状況も避けられない。

───僕はブログで友と出会い、相棒と出会い、小説と出会った。

 それもこれも、毎日ブログを書いた結果である。そうでなければ、今はない。そして、ブログを読んでもらえるまでのハードルは高い。たかだか2000文字。その程度の記事だとて、読んでもらうことは難しい。やってみれば、誰だって3ヶ月で心が折れる。1年続も続けば変態さんだ。それも立派な変態さん(汗)

 最低でも数万文字を扱うのが小説である。すると、読んでもらうハードルは更に高くなる。もはや不可能なレベルに達する。〝小説の続きが読みたい〟……この言葉がどれだけ心の支えになっているか。その喜びは、高揚感は、書いた者だけの特権だ。

 だからブログを書いてる。毎日休まず記事を書く。僕にとって小説は商品。それを読んでもらうための〝どこでもドア〟がブログの役目。誰かの興味をひかせるきっかけ。これが僕の戦い方。

───このブログ、何か変?

 そこから小説を読んでもらえたら最高だ。

 もし、僕と同じ思考回路の人がいるのなら、同じ手法を使う同志なら、いつでも手を組む準備はあります。貴小説の感想文くらいなら、いつだって書きまっせ(笑)

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