2018年12月7日。この日を覚えているブロガーはどれだけいるのだろうか?。この年は第三次タピオカブームの年ではあるのだけれど、今回の話題はそんな楽しい話では無い。バージョン5.0から始まる異世界生活の幕開け。Gutenberg(エディタ名)が正式に採用されブロガー界隈での動揺とざわめきは皆さんにのご記憶のとおり。あぁ…地獄だ。
WordPress創成期から使い続けられたクラッシックエディタ。大胆に変更された仕様。どうしろと?、どうやれと?。かく言う僕も「一生、クラッシックエディタを使います!」そう猫に誓った。どうしようも無く使いにくかった。エンターキーを押すと新たなブロック出現。…分からん!全く分からん!。その画面が今でも最も印象的であり、最も記憶に残っている悪夢。執筆ペースが格段に落ちるのは火を見るよりも明らかだった。
写真一枚表示させるのにさえ、戸惑い、悩み、考え、手間の掛かる作業の連続。だってそうでしょう?、操作は身体で覚えている。何千、何万回と指に染みついて離れない動作。それを無理矢理脳で制御して矯正。いまさら感が否めない。例えるなら、キーワードの配置が変わったくらいの嫌な感じ。この仕様変更は誰得?。往々にして多くの人が同意見だったと思う。
間を開けずしてクラッシックエディタ復活プラグインが提供される。そりゃそうだ。速攻でプラグインを導入しクラッシックエディタを使い続けた。その半年後、新たな仕事が入る。自社ウェブサイトの指導案件だった。となると旧エディタの話をするわけにはいかない。そこで、嫌々ながらブロックエディタからの投稿に切り替えた。時は平成から令和へと移り行く。そして、これが僕のターニングポイントになった。
極めて執筆向きだったブロックエディタ
ネタを見つけ、文字に起こし、画像を貼り付け、ブログにアップする。どうしてこんな単純で簡単な事が出来ないのか。その考えは今も昔も同じである。SEOなんて糞くらえ。その画像が…貼り付けられない。数日間、イライラしていた。画面左下に表示される文字数表示。それが無くなった不満も大きかった。SEOは糞くらえだけれど、それでも文字数は気にして書いているのだ。人間は矛盾の塊、女心と秋の空、江戸っ子は宵越しの銭は持たない…そういう事です。
話の途中でご紹介するのは「ブロックエディタ、執事を快適にする驚きのショートカットまとめ!【プラグイン不要】」ブロックエディタを意識したパロディ記事。真面目に始まり徐々に首を傾げる流れを意図的に作り出しているのだけれど、画像、色、枠などのブロックの多様性を感じる。こんな使い方もあるのだなぁ。そう思いながら読んだ記事だった。どことなく侍魂の臭いも感じた。知らない人は置いて行きま~す。
コロナ禍でブログの方向が大きく転換
転機が訪れた…文体、文章、リズム、マクラ、オチ。それらを意識し始めたのは一年前。ブロックエディタを使い始めてから更に一年後。2020年、時代はコロナ禍へと突入し、僕は自粛生活を余儀なくさせられた。そこで初めて自分の文章と向き合う。表題、段落、句読点…これらを意識するほどにブロックエディタは僕に馴染んだ。
基本的に一段落をTwitterと同じ140文字程度に押さえる。僕のPC環境では3行と3文字がそれに該当する。利点は3つ。余計な文字をそぎ落とし、段落単位での移動がスムーズ、コピペしてTwitterへ投稿も可能。段落単位で話を完結。それだけで転用が効く、バリバリ出来る。そこで初めてブロックの意味が理解できた。
段落を入れ替えただけで文章の印象が大きく変わる。思い付いた項目をまとめて後で順番を並べ変える。そんな使い方も便利だ。お気に入りは再利用ブロック化。何度も使い回せるブロックはもはや捨て難い。何よりも読み易い文章が書けるような錯覚に陥れた。根拠の無い自信は幾つになっても必要だ。それらを踏まえて考察すれば、ブロックエディタは極めて執筆向きだと言えるだろう。
文章よりも画像。画像よりも動画。それは時代の流れだと理解しているのだけれど、「ブロガーの本分は文字でしょ?」。そんな生きた化石的な思考回路が働く不幸。その考えは死ぬまで治らないだろう。だから続行でテキストを書くよ。
※この記事はTwitter企画『初めての企画もの?ブロガーさんの記事を記事します』に参加された方の記事からインスピレーションを働かせて書かせて頂いた記事です。情報提供された素晴らしいブロガー様のブログも是非ご覧ください。書かせていただきた記事一覧はこちらから。
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