オッツーは怒っていた。
怒りに身体を震わせていた。
俺たちの目の前でツクヨが車に連れ込まれたのだ。今の日本で、こんな田舎で、こんなことが起こるのか? いったい、この国は、どうなっちまったんだ!!!
車の後部座席から窓を叩くツクヨは、泣いているより絶叫だった。走り出す黒バンを条件反射で俺とオッツーとで追いかける。身体能力を比較すれば、俺が並みでオッツーは化け物だ。あいつの脚力は、本気を出さずともチャリで時速60キロを軽く超える。クロックアップしなくても、あの黒バンには決して負けない。そして俺たちは、この町を知り尽くしている。
俺たちから、逃げ切れるわけがない!
チャリのハンドルにスマホを取り付け、俺は黒バンを追いかけた。こんにちは、あるいはこんばんは……作戦ナビゲーターは桜木だ。
「尾辻君は、そのまま車を追ってください!」
「うぃ!」
エージェントたそが……オッツーは、ロケットダッシュをブチかます。すると、オッツーの背中が見る見る小さくなった。
「飛川君は、そこから裏道に入ってください! 信号機がない分、ショートカットが可能です。本屋の前の交差点で挟み撃ちにできるはずです。僕の計算では、3分後に取り押さえられるでしょう。僕は警察に通報しますから、それまで分かってますね? 飛川君、絶対に守るんですよ───犯人を!」
「よっしゃ!」
俺たちは知っている。心のストッパーが外れたオッツーの怖さを。そうなったアイツはマジで強い。身長180センチを超えた体格。そして、強靭な筋肉に加えて合気の達人。普通の人間では到底太刀打ちできない。そう、止めるべきは、怒りに任せて暴走しているオッツーの方だ。
俺は裏道に入り、走行しながらオッツーの連絡を待った───が、遅かった。
「サヨっち、犯人を確保したっ! 今から殺す!」
ちょい、待った!
「ツクヨは!!!!」
俺はオッツーにブレーキをかける。今回に限っては、コイツは本気で殺るだろう……。
「泣いてるけどケガはない。無事だ。ゴラァ~!」
「ひぃぃぃぃぃ!」
電話が切れる瞬間、犯人の悲鳴が聞こえた。
俺の仕事はこれからだ。オッツーの場所へとチャリを走らせた。そこは、桜木の予測どおりのポイントだった。大通りに出るとオッツーたちの姿が見えた。犯人がオッツーに胸ぐらをつかまれている。これはまずい!
「オッツー、そこまでぇ!!!」
俺は声を張り上げる。
「ダメだ! こいつだけは許さーーーん!!!」
ツクヨはオッツーの足にしがみつて泣いている。妹のように可愛がっているツクヨが酷い目に遭わされたのだ。気持ちは分かる。でも、ダメだ。
「お前は、警察官になるんだろうがぁ!!! 今のお前は、カクホまでが仕事だろうがぁ!!!」
俺は全力でオッツーを制止した。
「くそ野郎がぁ!!!」
天高く振り上げた拳の軌道は犯人から黒バンのボディに向けられた。ドン! 大きな音を立て黒バンがグラリと揺れた。
そうだ、お前は手を出しちゃいけない。お前のキャリアに傷がつく。今は我慢だ、じっと我慢───でも、俺は違う。
「うぉぉぉぉぉ!!!!」
俺は犯人目がけて自転車ごと突っ込んだ。やる気満々で突っ込んでやった。
「ぐぇっ!」
タイヤから伝わる〝グニュ〟っとした手ごたえ。俺はハンドルを通して手のひらにそれを感じ取った。あばらの一本くらいはやったか? 「ぐをっ!」っと、小さなうめき声を上げた後、犯人の体はチャリと車の間に挟まれた。そして、そのまま動かない。動かなくても、オッツーは腰のベルトを犯人の両腕に巻き付ける。これで、犯人の動きは完全に封じられた。もう絶対に逃げられない。
後はパトカーの到着を待つだけだ。
「ツクヨ、大丈夫か?」
俺はツクヨに声をかけた。
「だいじょうぶとちがうぅぅぅ!!!」
ツクヨは甲高い声で吠えた。そして、犯人の前で仁王立ち……何が始まる?
「わたしにはね、オッツーがいるんだよぉぉぉ!!」
ツクヨはランドセルを振り回し、そのまま犯人を殴り始めた。気持ちは分かる。今は、そっとしておこう……ツクヨは泣きながら犯人を殴り続けた。この騒ぎに人だかりが増えてゆく。ここは田舎だ。じいちゃん、ばあちゃん……まるで老人会の集まりのようだ。
やがてパトカー到着。
オッツーは警官の前で、ピシッと敬礼をしてみせた。警察官も敬礼を返した。俺には、オッツーの姿が誇らしく思えた。後で聞いた話では、敬礼を返した警察官は、オッツーが通う道場の先輩であった。
ツクヨは余程怖かったのだろう。息を切らせながら犯人を殴り続けている。
───はっ!?
警察官を見るやいなや「獲物は逃さん!」とばかりに、ランドセルからコンパスを取り出そうとした。これには、さすがの俺も制止した。
「飛川君、尾辻君。ツクヨちゃんに大事がなくてよかったです」
後から駆け付けた桜木も、ほっと胸をなで下ろす。騒然とした空気の中。俺たちは、その場で簡単な事情聴取を受けることになった。俺たちは悪くない。悪いのは犯人だ。
「ちょっとキミ」
先ず、警察官に囲まれたのは俺だった。絶賛悶絶中の犯人の前で、俺は警察官に説明を繰り返す。自転車の勢いが余ったのだと。だから、自転車を止められなかったのだと。もしかしたら、ブレーキが壊れていたのかもしれないと。
「僕も一緒に説明に加わります」
桜木が俺に代わって詳しい状況を説明し始めた。現場は警察官と、俺たちと、近所のジジババとで一時混乱した。
「この子ら、悪ないやん!」
「そうじゃ、そうじゃ!」
ジジババはいい仕事をしてくれた。口をそろえて俺たちの味方をしてくれた。ありがてぇ話である。
その間、ツクヨはオッツーにくっ付いて離れないかった。まさにヒーローを見る眼差しで、オッツーの雄姿を見上げている。そのオッツーも警察官から事情聴取を受けている。
「その子は妹さん?」
「いいえ、赤の他人です」
ツクヨはハッとした顔でオッツーを見上げた。お前はオッツーに何を期待しているんだ……?
続けて、ツクヨも質問される。
「このお兄さんはお知り合いですか?」
「はい、わたしのオッツーです(笑)」
警察官が書類に記載しながら再確認する。真顔での対応にプロ意識を感じた。
「えーっと……わ・た・し・の……の後、何でしたっけ?」
「はい! ツクヨのオッツーです!」
さっきと呼び名が変わってんじゃん(汗)
〝わたしのオッツー〟これも聴取記録に残るのだろうか? 無線だか、スマホだか、パトカーの中で「わたしのオッツー……」と言う、至極真面目な声が聞こえる。本物の笑いは、緊張感の中にある……俺と桜木は、笑いを堪えるのに必死だった。
「脈拍正常、意識あり。胸部骨折の可能性あり」
救急隊員は犯人の容態を連絡している。病院の指示を受けながら、犯人は担架で救急車に乗せられた。救急車で運ばれる犯人を目で追いながら、桜木が俺に耳打ちをする。
「ところでですが、飛川君」
「どうしたのかね、桜木君」
「あなた……ワザとやりましたよね?」
俺は何も答えなかった。
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