「あのねぇ、行ってみたい島があるの。三縁さんの住む町から近い所に……」
のんがつぶやく。
「島ですか?」
俺が答えると、のんは、慌てて話の矛先を変えた。
「あ、初対面なのに、ごめんなさい……ほら、見てみて、シロクマさん!」
細くて白い指先がシロクマの姿を追っている。俺は指しか見てないけれど……。
「いつか、一緒に行けたらいいですね」
今からでも、行きましょう! それが、俺の本心だった。でも俺は、その言葉が言い出せなかった。
「……うん」
のんは頬を赤く染めた。
素直に自分の気持ちを伝えられたら……。でもこれが、今の俺には精一杯だった。俺たちは付き合っているわけじゃない。ましてや、来春には高校卒業。新生活で環境も変わる。のんは美人で可愛らしい。男なら誰だって、のんを放ってはおかないだろう。大学で、キャンパスで、街を歩いているだけで。イケメン彼氏と出会ったら、俺のことなど忘れるだろう。のんにはのんの人生ってものがあるだろうし。今の俺には、それを阻む権利もない。のんと俺とでは、生物としてのステージが違いすぎた。所詮は高嶺の花なのだ。
だから、今日で最後かもしれないな。クリスマスの楽しい想い出を、そっと胸にしまい込んで……とはならなかった。この時すでに、のんはとある行動を起こしていたのだ。来年のゴールデンウイークに、俺はそれを知ることになる。のんの背後で桜木までもが暗躍するミッションが発動していた……。
ここから先は、ブログ王からちょっぴり未来の物語。読者の皆様には、スピンオフのイレギュラーだと受け止めて頂けたら幸いである。それもこれも、自分勝手で我儘な神様の気まぐれなのだから(笑)
───のんとクリスマスを過ごした次の夏。
大学生になった俺は、瀬戸の小島で釣り糸を垂れていた。この島は、シロクマの前でのんが望んだ島である。雲ひとつない青空の下。船着き場のボラードに腰掛けて、波に漂うウキを追う。この港、運がよければ大きな真鯛が釣れるはずなのだ。じいちゃんの時代には、ここから泳ぐ鯛が見えたそうだ。釣りを始めてから一時間後───チャンス到来! 潮目が変わった。
「きたっ!」
ピクン、ピクンとウキが反応! ウキはそのまま、ギューンと海中に引きずり込まれた。キターーーー! 竿のしなりに大物予感。こいつはかなりの大物だ。このビッグウェーブを逃がしてなるものか。
「いっけぇーーーーー!!!」
条件反射で俺は叫ぶ。
竿を上下に動かして、テンポよくリールを巻いてゆく。海中深くの糸の先で、うっすらと巨大な魚影が姿を見せた───このキラキラは桜色! 紛れもなく真鯛である。しかもデカい、大物だ!
「おっきい、おっきい!」
俺の隣の麦わら帽子。今まさに、大物を釣り上げようとしてるのは、のんである。丸い声と弾ける笑顔。俺は瀬戸の海に感謝した。
───のんに笑顔をありがとう。
今日は絶好の釣り日和であった。今年一番の日本晴れ。
今朝、俺が迎えに行くと、のんは釣り竿片手にクーラーボックスを担いで立っていた───どうして釣り具……持ってんの? てか、それ自前? さすがの俺も目がテンだ。誰の目からもインドア派なのに、カフェでパンケーキが似合うのに、のんは生粋の釣りガールであった。けれど、そのアンバランスさにときめいた───ギャップ萌え。これは俺の好物だ(笑)
少し大きめオーバーオールに白いシャツ。カーキー色の長袖パーカー。そして、頭に乗っけた麦わら帽子。小さな顔の中で美しさと幼さが同居している。とどめは、真夏に雪の肌。それがだよ、七十センチ超えの鯛を釣り上げご満悦の表情なのだ……こんなの……もう、反則じゃん!
この笑顔───俺、ぜったいSNSなんかに投稿しない! ブログにだって、ぜったい書かない! 俺は密かに胸に誓った。
とはいえだ。どうして、のんはこの島を知っていたのか? さして、有名でもないこの島を。それがとても不思議だった。静岡でも讃岐うどんブームが白熱していたのだろうか? もしかして、香川も全国区の仲間入り?
───よっしゃ、次は俺の番!
のんが大物を釣り上げた後、潮目がピタリと止まってしまう。こりゃ、しばらく釣れないな……。さっきと同じで、ウキがピクリとも動かない。硬直状態の再来だ。時折、のんはクーラーボックスを開きに行く。中を覗いてニコニコしてから戻ってくる。そして、俺の横にちょこんと座る。ウキの様子を伺いながら、何かの微調整をしているようだ───その手さばきに、もはや釣りガールと呼ぶのが失礼に思えた。あの目は、獲物を狙う漁師であった。
とはいえ、沈黙が続くと俺が辛い……。話のきっかけを頭で探す。
「どうして、この島、知ってたの? 釣り情報か何かで見たの?」
俺はのんに問いかけた。
「ちっちゃい頃にねぇ、おじさんのアルバムの中で見たの。それがとてもキレイだったの。ひと目で好きになっちゃった。だからねぇ、いつか行きたいなって思ってたの。だから、今。わたし、とっても楽しいの。あのねぇ……ここ、天国みたい……」
そう言って、のんはウキに視線を戻した。目の前に広がる瀬戸の海。真夏の日差しと入道雲。そして、防波堤に当たる波の音。ゆっくりとした時が流れてゆく。そうだな、ここは天国みたいだな……。
そう思いながらも話を続ける。
「この島は、俺のブログを知る前から行きたかったの?」
知った後なら脈ありだ。ちっちゃい言うても、中学生だって〝ちっちゃい頃〟なのだから。
「そう、そう。わたしもビックリしちゃった。この島が、三縁さんちの近くにあるなんて。今日はどうもありがとねぇ」
島に負けた……俺の期待は見事にはずれた。島に罪はないけれど、俺は謎の敗北感を味わった。そっか、そっか……島の方が先なのか……。
「いえ、どういたしまして。また、俺と一緒に釣りに来る?」
これは、是非とも聞いておきたい質問だ。いつでも返り注文お待ちしてます。
「来年も、再来年も、ずっと、ずっと……わたしでよかったら……」
よくないワケなど、ありませーーーん! 世界で一番、のんと釣りをしたい俺である。
「あたり前田のクラッカー。じゃ、来年も釣りをしよう。また、ここで(笑)」
あたり前田は、じいちゃんの口癖である。ウケを狙えど、昭和がのんに伝わるのだろうか? のんはクスリともしない。真顔だった。レッドカードが頭をよぎる。しまった、じいちゃん! 俺、どないしよう……。
「ほんとに……お邪魔じゃない?」
のんは、真っすぐな目で俺を見た。その瞳に身も心も引き込まれそうだ。天地がひっくり返っても、のんがお邪魔なワケがない。逆に、毎日のんと一緒にいたいわ。
「お邪魔なんかじゃ……って、ウキ、ウキ、ウキ!」
俺は慌てて指をさす。またもやウキが海中へ引きずり込まれた。
「わぁーーー!」
彼女の瞳に見惚れてるうちに、のんのウキが沈んでいた。人も魚も、彼女の方がお好みらしい。どうやら、今日の俺はボウズだな……。のんの笑顔が見られるのだから、まぁ、いっか。のんは、またもや大物を釣り上げた。それだけで、クーラーボックスが満杯だ。それを見ると欲が出る。そこからは、俺も全集中で釣りに挑んだ。海育ちは伊達じゃない!
「おきばいやんせぇ~(笑)」
そう言って、のんは俺を応援してくれた───でも、結果は結局ボウズだった。まぁ、こんな日もある。そして次もある。〝次も〟が俺の収穫だ(笑)
瀬戸の海に浮かぶ小さな島。偶々それが、幼きのんが憧れた島だった。俺たちは、それを〝天国にいちばん近い島〟と呼んでいる。この日から、それが俺たちにしか分からない、俺たちだけの暗号になった。
釣り帰りの船の上。甲板から手を振って、のんは島に向かって声をかけた。
「じゃ、またね(笑)」
この笑顔が続きますように……彼女の隣で、俺はそう思った。そうじゃないな……続けさせよう、永遠に(笑)
コメント