ブログを書く時、僕には日時が割と大事

インターネット・SNS・ブログ

───いつの頃からか時系列を意識し始めた。

ブログを書く時の話である。

記事ネタをアクセス追求型に特化させるなら、芸能、時事、うんちく、〇〇の方法や〇〇のやり方などを採用するのが定番である。誰かが調べたいキーワードを予測し想定すれば嫌でもそうなる。ブロガー界隈でペルソナと呼ばれるやつ。かつて、僕もそちら側の人間だった。その頃に時系列などあまり意識してはいなかった。漠然としたネット情報をそれらしくまとめた方が効率よく書けたからだ。読み返す事もない。

言わば書き捨て。

───根本的な何かの欠落。

ある日、そんな気がした。

コロナ禍に入る半年前から文章をいじくり始める。過去記事を紐解けば、2020年の9月あたりから文面のこねくり回しの痕跡がある。変だけれど頑張ってた感じある。その原因は僕の高齢化。だってそうでしょう?、いくら小学生でも分かる文章がブログのセオリーとは言え、これは、いい歳したオヤジが書くような文章じゃない。コピー用紙くらい薄い文面。リアルな知人から失笑されるのがオチである。しかし、身に染み付いた書き癖が抜けない。そう簡単に抜けるものじゃない。

例えば検索エンジン対策である。

Googleなどで検索順位を上げようとするのなら、狙ったキーワードを重ねて書く手法がかつての定番であった。狙ったキーワードが「ネコ」ならば、文章内に「ネコ」の単語をより多く紛れ込ませる手法である。この場合、あれ・これ・それなどの指示詞は全て「ネコ」として表記する。それを続ける事で起こる障害は語彙の欠落。文字数伸ばしには、です・ます調で、今日もサヨリは元気です。

───もうね、文章が浅い。

浅いねぇ〜、レム睡眠くらい浅いわ。

そこから語彙を意識し始める。通学電車で気になるあの娘くらいの意識ある。その前に語彙って何んなん?。そんな感じだったのだけれど。なんとかなるべ、歩いてみよう。その選択が僕にとって茨の道だとも気づかずに。ようこそ、地獄へ!。日本語からの祝福と呪いを先ず喰らう。自慢じゃ無いけど、小・中・高と国語は「2」だったテレビっ子。読書は嫌いで漫画は好き。だから言葉のチョイスを知らない。文章表現が分からない。とっかかりが何処にも無い。

それは今も同じだけれど…。

───あれ?、日時って大事かも?。

ブログの中で時系列を意識し始めたのは自家栽培を始めてから。つまり、畑をやってから。畑は小さな大宇宙。いつしか僕のブログは記録になった。体験談という名の記録である。何時やった?、何処でやった?、何をやった?。自らの体験から真っ先に消えて無くなるのが何時である。下手をすれば昨日の事でも結構ヤバイ。人生も野菜づくりもタイミング。それを逃すのが惜しかった。そこから時系列に心情をエグく重ねて書くようになる。オーバーな言い回し、それは記憶の起動ボタン。

───誰が為で無く己の為にポチッとな。

日々、何かを書き続けていると面白い現象が起こる。若い頃にはそれは無かった。自分が何を書いたか忘れてしまうのだ。闘魂込めた記事でさえも同様に。知人から過去に書いた内容を振られると、「そうね、そうね」と言いながら、「ヤッベェー!、そんなのオレ書いたっけ?」そう思う事がたまにある。己が歩んだ1年が、365日が覚えられない。みんなそう、きっとそう。確かにそれが正常である。永遠の国語2が覚えていられる筈もない。だからこその時系列、投稿日と体験日とは必ずしも一致しないのだから。

ブログを書く時、僕には日時が割と大事(汗)。

コメント

  1. 日時が大事。うん、確かに。体験談だからこそ大切ですね。特に畑系は、今年の記事を数年後に誰かが読んだ時、何月何日の話なのかわからないと参考にしづらいですからね。時期、日時、天気等がわかれば未来の読者さん達の参考になるでしょう。ところで国語2‥?。そんなの関係ねぇ。だってアヒルは北京ダックにまで昇華しますもん。

    • そうなんですよ。記事を読み物っぽく書いてはいますが、畑の記事は自分でも読み返すので日時と気持ちは必須ですね(汗)。国語2からのアヒルが北京ダックの発想は無かった。それ、頂きました(笑)。

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