───猫の一生は人間と比べて短い。
ある日から、歳を数えるのがカウントダウンのように感じられて、愛猫サヨリの歳を数える事を僕はやめた。だから「この子、幾つ?」と訊かれたら「15」と答える癖がつく。年相応に毛色も白っぽくなり、動きも鈍く、寝ている時間も長くなる。それは自然の摂理なのだから仕方のない事である。
若武者だった頃のサヨリはご飯の後にご飯を催促するような猫であった。飼い主が息子だった頃の話。仕事から帰ると尻尾を立てて頬を僕の足にすり寄せる。その後で「今日ボク、何も食べさせてくれません」そんな儚い目で僕を見つめ、「ア、ア!」っと鳴いてご飯をおねだり。これで何もしない奴はどうかしている。憐憫の情を感じながらカリカリの準備をしてると、「さっきカリカリ食べたら、ご飯食べると吐くから!」と家族に怒られたものであった。あれから何年もの月日が経ち、たまにサヨリをみると「おじいちゃんになってガリガリに痩せて…」家族からの心無い言葉が辛かった。
猫は人には飼われない、人と同居してるだけ。
同居人は静かに最後を見守るだけである。彼に何があろうとも、それを表に出す気もサラサラ無い。元気玉も好感度も要らねーよ。静かに終わって最後の挨拶で締め括る。ただ、それだけの事である。そんな気持ちで共に過ごした。転機が訪れたのは、4本目、つまり最後の犬歯(牙)が抜けてからである。
突如として、サヨリは自然の摂理へ抵抗を見せ始めた。
───お前、ギャル曽根か?!。
めっちゃ食べるのだ。
数値化すれば今までの倍以上を平らげる。その食いっぷりたるや、お腹を壊さないかと、見てるこっちが心配になるほど。とは言え、猫は吐く生き物である。息をするようにゲロを吐く。一度の量を間違えれば後の悲劇は避けられない。様子を見ながら限界値を見極めるのも同居人の勤めであった。見た目にもむき出ていた背骨が脂肪の鎧を纏い始める。抱っこするとズッシリとした重力を感じる。
───嬉しいじゃん。
数年前、何も食べなくて探し求めた食材が刺身であった。好きなのはマグロとカツオ、そしてサーモン。ボラには一切目を向けない。その生活が2〜3年続く。昨年、まんぷくパウチ(コーナン)を与えてみるとご機嫌さんでンゴンゴ食べた。その後で火を通した鯛なら食べる事実が明らかとなり、入れ替わり立ち替わり良さげなキャットフードを試し続けると、何かのスイッチが入ったように何でも食べるようになってきた。
───今では僕のご飯でさえもが視野に入っているようである。
隙あらばの盗み食い、その圧が凄い。その数値をスカウターで測定すれば、耳元でBOM!と爆発する雰囲気あった。人を良くすると書いて食べる、食欲は身体活動を活発化させる。数年ぶりに事務所のデスクなどを使って、SASUKEに興じる彼を見た。人間年齢で70とか80とか。そんなお爺ちゃんが壁でロッククライミングしてる姿は圧巻である。その後で、下ろしてくれと必死のアピールもご愛嬌。
───幾つになっても、猫は猫。
猫は特別な存在です。優雅で美しく、しなやかでしたたか…なのにドジっ子。彼らの存在は、私たちの目を惹きつけて離しません。その証拠にメディアを通して猫の姿を見なかった日があったでしょうか?。私は知りません。
そんな気分で目が細くなるのも不思議です。もうそろそろかと思いながらも、彼との付き合いもまだまだ長く続きそう。さて、灼熱の夏に向けて、サヨリ専用冷房ハウスの最新版も準備もしないとデス。
何が言いたいのかと言うと、本日3回目のご飯の催促が激しい。おねだりも度が過ぎれば脅迫…ちょ…ちょっと買い出しに行って来ます(笑)。
コメント
100歳まであと一ヶ月ってとこまで生きた爺ちゃんはめちゃくちゃ肉食ってた。ジャムパンとかトマトとも。
あと、様子見に行ったら重たいテレビ台の位置変わってたり
人間も猫も食欲は大事ですね。
99歳でも凄いですけど
お爺さまも100歳まではと頑張っていたのでしょうね。
我が身に置き替えて考えてみると80歳でも自信がないです(汗)