───野良猫の寿命は2、3年だと言われている。
病気、寄生虫、怪我、交通事故……田舎であっても、都会であっても、猫が生き抜く過酷さは変わらない。冬は塀の上で、屋根瓦の上で、駐車場の車の上で、日向ぼっこな猫でさえ、呑気に見えても明日の命はわからない。いつだって、生と死は隣り合わせなのだから。
その人生。
いや、にゃん生を生きるはずだった猫いる。そいつが僕の足をガッチリとロックしていやがる。のうのうと。
偶々、息子についてきて。偶々、うちの猫になって。どういうわけだか僕の管理下に入って。今はコタツの中で……爪を立てるな! ひっかくな! 僕の足が痛いじゃないか! ってことになっている。
その原因は、偶々、こいつが可愛かったからである(笑)
野良猫から家猫へ。華麗な転身を果たした猫。名前をサヨリという。敬称は〝さん〟である。僕がどんなに可愛がっていたとしても、〝様〟を付けてまで呼びはしない───だから、サヨリさん。以後よろしくお願いします(笑)
───飼い猫の寿命は12年から18年だと言われている。
猫の知識なき僕は、犬も猫も10年くらいで大往生だと思っていた。それは、テレビや洗濯機の寿命感覚と同じだった。昭和の家電は10年使えて当たり前───80年代、世界を席捲したmade in Japanブランドへの信頼は、現在のそれとは比較にもならない。
だから、スマホもパソコンも一生使える。そう勘違いしている高齢者は多い。だから、それらが壊れると激怒する。「昔の機械は強かった」の捨てぜりを吐きながら。この理論と戦うのは無駄である。説明しても始まらない。日進月歩、技術は進歩し続けていると信じているのだ。何を言っても納得しない。僕だって、そちら側の人間である。その言い分がよくわかる。僕もそう思いたい。
それだけに、そこが辛い。けれども逃げ道がないわけでもない。
「だって、海外ブランドじゃん(笑)」
これに、不思議と納得してくれるお年頃。
「10年使いたきゃ、日本製のを買わないと……お値段はお高めだけどね」
それで、話を丸め込む。勿論、それは嘘ある(汗)
僕だってジジイの端くれだ。この流れで昭和感覚を持ち込めば、猫は10年も生きれば、次のステージへと昇華する。化け猫や猫又にフォームチェンジが始まるのだと。そうなれば、そりゃもう、僕の使い魔だ。
そうなったら、サヨリ様とお呼びしよう(笑)
もう、そろそろ、フォームチェンジが終わってもよい頃合いだけれど、一向にサヨリさんは猫のままである。話が上手くなったのと、キジトラ柄が少し白っぽくなった程度の変化に留まっている。
そう、他の猫より少しだけ話せるだけである。
とはいえ、知らない人の前で人語で話さぬように。常々、そう教育している。けれど、空腹時の〝ごわぁん〟と、気に入らない時の〝いやぁー!〟だけは喋るのだろう。まぁ、それくらいなら構わない……か。
「まだ生きてるん?」
「その猫、死んだらどうするん?」
そんなぶらり散歩気分で、随分な質問もある。それを心無いとも思わない。その言葉に心はない。悪意なき悪意である。サヨリがいなければ、僕だってそんな質問をするはずだ。いつまでも、同じ猫が僕の事務所にいるのだ。そりゃ、そうもなる。当然だ。
「まぁ、もうちょいすれば、しっぽが二股つになりそうだから、次のステージをお楽しみに(笑)」
といった感じである。
あまり知られていないが、この子は2度も死線を彷徨った猫である。だから、この子は強い。こいつ。下手すりゃ、30歳くらいまで生きるんじゃね? 割と本気で思っている……てか、爪を立てるな! ひっかくな! 僕の足が痛いじゃないか! 後で、腹の陽だまりの香りを嗅がせろや。
そんなわけで、今日もサヨリは元気です(笑)
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