どうしてブログを書き続けているのか?

りんご
雑記・覚書き

───親愛なるおせちさんへこの記事を贈る。

2020年春。

新型コロナ、緊急事態宣言、自粛生活。その中で出会った駆け出しブロガーがいた。会話のきっかけは僕のTwitterへ彼女からフォローされてから。起業するにあたりブログを始めたのだと言う。ブログの文面から前向きな未来への意志を感じた。フォローされても、すぐさまフォローを返す僕では無いけれど、少しでも力になれるのならとフォローを返した。後に彼女は僕を師匠と呼び始める事になる。

───明るく、楽しく、健全に。

それが僕の理想のブログ像。楽しい会話を重ねながら、共にアクセスを伸ばそうよ。そんな感じで会話を進めた。枯れた僕よりずっとずっと若いのに、彼女は大きな病を抱えていた。Twitterの文面からそれは容易に推測出来た。気持ちが塞ぐと記事など書けない。時として優しさは不安を煽る。だからこそ、彼女が前を向いた時だけ助言のコメントを送った。2021年初頭、突如、Twitterが閉じられる。ブログの更新もストップしたまま。

───それはよくある事である。

何年もブログを書き続けている方がどうかしている。ブログなんて1年未満で終わるのが普通なのだから。別に珍しい話でも無い。新たな目標を見つけたのだろう。彼女の存在を忘れかけた頃、時は流れて7月の頃。彼女が活動を再開させた。新たなTwitterアカウントからフォローが入る、ただいまというメッセージと共に。おかえりなさい。彼女がアイディアを浮かべたら助言を送る。そのアイディアから記事が生まれた事もあった。2021年それが彼女の最後の記事となる。愛猫サヨリの画像も掲載してもらい、これからという矢先、彼女からの投稿は全て途絶えた。

───気にはするけど無理強いはしない。

いつかどこかで、ネットの片隅での再開を楽しみに待つ事にしよう。いつだって、僕はここにいるのだから。夏が過ぎ、秋が過ぎ、冬の風が染みる頃、ふと彼女の事を思い出す。南国から文章を綴る、彼女のブログへアクセスした。僕たちが案を練った次の記事。タイトルは「あいしています」。ご主人から書かれた文面は、彼女の他界を知らせるものであった。

日付は最後の記事から1ヶ月後、今からちょうど1年前。

何度も読み返し己を悔いた。何らかのSOSがツイートの中に隠れていたのかも知れない。キチンと読んだか?、深く考えたか?、もう一歩踏み込んだか?、出来る事は無かったのか?。

───毎日の更新は自分への戒めである。

ネタがあろうと無かろうと、だから記事を書いている。けれど毎日の更新は難しい。心が折れたら彼女のブログを読み返す。仕事の事、家事の事、未来の事。決して更新されること無きブログにパワーを貰いながら現在に至る。

───そして今日、彼女のブログへ道は永遠に閉ざされた。

ご家族にもひとつの区切りがついたのだろう。その選択は正しいと思う。もう二度と読めない記事の数々。いつまでも僕の中に残っています。もう少し先だけれど、そっちへ行ったら、また一緒にTwitterをしましょう。ブログも一緒に書きましょう。

あの頃のように。

コメント

  1. 毎日のブログ更新は〔戒め〕ではなく、理想のブログへの階段の一段、一段‥と、捉えたらいいですか?かなり満足出来るブログが出来たら、そのブログは、おせちさんへの賛歌‥、とかね、これは、ちょっと、クサい?‥永遠は無いけど、寿命が尽きる、その時までは、彼女の師匠らしく、老兵は実はラスボスって感じ位に、生き抜いて下さいね。

    • そうですね。
      ラスボス目指して頑張ります(笑)。

  2. 考えさせられました。
    書き続けていきたかっただろうなと思います。
    毎日は無理でもできる限り書いていきたいと思いました。

    きじトラもずっと読みます

    • ありがとうございます。
      今夜はいつもより静かな夜を過ごしています。
      もっともっとネットで大暴れして欲しかった…。

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