001 じいちゃんのカブトムシ
俺の名前は飛川三縁。
四国の片隅で暮らす高校生ブロガーだ。“三縁”と命名したのはじいちゃんである。“三つのご縁に恵まれますように”の願いを込めて。しかし、俺は“サヨリ”の響きが気に入らなかった───細魚は魚の名だ。海育ちの俺たちが、子どもの頃から釣り馴染んだ魚の名前だ。一ミリだって俺の名前はキラキラじゃないのに
「サヨリ? 魚の? マジっすか?www」
そう言って、俺の名前はイジられる。それが、とても不快だった。でも、それが高校に入ると割とお気に入るのも、思春期の七不思議と呼ぶべきだろう。初めて会う誰しもが、一度で俺の名前を覚えてくれる。このメリットは地味にデカい。魚を釣らない都会っ子には、当てはまらない話だろうけれど……。
───その俺が、小説だって? ちゃんちゃら可笑しい話だ。
本が好きとか、物語が好き。空想が好きとか、小説家になるのが将来の夢。そう考えたことは一度もなかった。小説を書く気などサラサラなかった。その俺が、小説を書いているのだ。誰かの意思に導かれるように。
俺が小説を書くに至るまでの道のり。それを語るには、小六の夏まで時間を巻き戻す必要がある。小説を書き始める前に、ブログの存在があったからだ。俺がブログを書き始めたきっかけ。それは、夏休みの自由研究だった。
「三縁、ほれ、カブトムシ。じいちゃんからのお中元です(笑)」
「やったね、じいちゃん(笑)」
夏になるとカブトムシである。毎年、夏になるとじいちゃんが、山からカブトムシを捕ってくる。いつだって、畑のスイカとワンセット。俺は、それが楽しみだった。夏のサンタはじいちゃんだ。
「やったぁ!(笑) でも、じいちゃん。どこで、カブトムシをつかまえてるの?」
それが不思議でならなかった。ここは、瀬戸の海と山に囲まれた田舎だけれど、カブトムシの姿はどこにもない。
「はっはっは。それは、秘密じゃ!」
じいちゃんは、いつもそう言ってはぐらかす。
「なんでなん?」
幼心に、俺はカブトムシの居場所が知りたかった。
「誰かに教えると狩り場が荒らされるだろ? だから、口が裂けても言えないんじゃ。カブトムシが捕れなくなったら、三縁も嫌じゃろ? お前に子どもが生まれたら、その時にな、カブトの山を教えてやろう」
じいちゃんは、しわくちゃな顔でそう言った。だったら、じいちゃん。それまで絶対に死なないで。俺は幼心に、そう思った。
この夏も、俺はじいちゃんのカブトムシを育てていた。透明のアクリルケース。その底におがくずを敷き詰めて、オトンが作った小さな木の家も一緒に。ケースの真ん中にカブトムシゼリーを入れると、ゼリーを囲むようにカブトムシたちが集まった。そして、黄緑色のゼリーをおいしそうに食べ始めた。
───動いてる、動いてる。背中がピカピカ光ってる。じいちゃんのカブトムシの中で、間違いなくコイツがチャンピオンだ(笑)
ガサゴソ、ガサゴソ……カブトムシは音を立てて、ケースの中で動いている。その勇姿を眺めていると、俺の頭で妙案が閃いた。
───この夏は、カブトムシじゃ!
俺って天才?
我ながら名案だった。俺だって小六だ、来年には中学だ。電車だって大人料金。だったら、大人の階段ブログである。ブログなら、桜木の名前しか俺は知らない。桜木は俺のクラスメイトである。あいつは去年、アリの観察日記をブログで公開していたのだ。あれはすごかった、本当にすごかった。
国語の授業で使う国語辞典。それに似た形の透明ケース。その中で、無数のアリたちが生活しているのだ。大きな女王アリに仕える働きアリ。それぞれのアリが、それぞれの役割を果たしている。その営みが、ひとつの国のように見えた。
桜木の透明ケースは、地面をスパッとカッターで切り取ったかのよう。そんな不思議な世界に俺は魅了されていた───桜木はすごいのだ! あいつに頼んで、ブログのやり方を教えてもらおう。善は急げだ。俺は桜木に連絡を取った。その返事は快諾だった。頼りにしてるぞ、親友よ(笑)
桜木は、読書家の顔も合わせ持つ。成績だってトップクラスだ。その桜木と俺が親しくなったきっかけは、小学三年の二学期に、桜木が俺のクラスに転校してきたことだった。転校初日、クラスの担任が桜木に指定した席。それが偶々偶然、俺の席の隣だった。それからの付き合いだ。
「はじめまして。よろしくお願いします(笑)」
誰だって転校生には興味を示す。俺もそのひとりだった。白銀フレーム眼鏡をかけて、スラリとした好少年。俺たちとは違う都会の雰囲気と、爽やかな笑顔に、女子の視線が集中していた。イケメン転校生だからな。やっぱ、そうなる。
しかし、俺たち男子は、そんなことには動じない。けれど、どうも敬語がいけ好かない。他人行儀な感じがするのだ。俺たちクラスの仲間やん。ため口で構わんのにな……。
気になったのが、もうひとつ。転校生のランドセルだ。だって、そうだろ? ランドセルから重力を感じる。少し仰け反ったようにも見える転校生の姿勢が、不自然だった。そうそう、子泣きじじいでも背負っているような。
それに気づくと、それが気になって仕方ない。ランドセルの謎が知りたくて、転校生が俺の隣の席に着く直前。待ってました!と声をかけた。反射神経で、俺の脳みそはできている。
「重そうやん? そのランドセル」
「ええ、まぁ……」
よいしょっと! 机の上にランドセルを下ろす転校生。机とランドセルとが触れた瞬間、ドン!という音がした。このランドセルは明らかに重量級だ。
───俺はビンゴを確信した。
ってことは、あの中に夢や希望でも入っているのか? でも、そんなふうには決して見えない。だったら、体力作りでダンベルでも入れているのか? 都会の人は、お金を払ってジム通いするってテレビで見た。だったらダンベルの方がありそうだ。そうだよな、夢や希望なんて、誰のランドセルにも入っちゃいない。
でも、転校生からの返事は意外だった。
「この中には、僕の夢と希望が入っています(笑)」
転校生は笑って答える───お前、メンタリストか? ピンポイントで、俺の思った夢と希望なんて言葉が……出ちゃうの?
「え、マジでか?! 転校生!」
俺は頭を突っ込む勢いで、ランドセルの中を覗き込んだ。見てはいけないものを見た気がした。なんだよ、なんだよ。これ冗談か? 頼むから、冗談だと言ってくれ(汗)
ランドセルの中に無数の本が詰まっている。隙間なくギュウギュウ詰めだ。不思議なことにマンガ本が一冊もない。それが俺にとって衝撃だった。俺のランドセルなんて、教科書以外はマンガだぞ?
「これ、全部……字の本? これ全部、読むの? 自分で?」
俺は驚きを隠せない。波紋のように、俺の衝撃波が教室の中を伝達し始める。
「なんだ、なんだ?」
「す、すごぃ」
周りの男子が集まった。席が遠い男子たちは、背伸びしながらこっちを見ている。先生までもが駆け寄る始末。女子までもが、ざわめき始める。結局のところ、クラスの誰もが我慢できずに、ちょっとした学級崩壊状態になってしまった。
ランドセルに押し込まれた本の数々。俺の学校にそんな奴などひとりもいない。噂だって俺は知らない。こんなに本を詰め込んだら困るだろ? リコーダー、どこに入れる? そんなことをしたら、ランドセルの横にリコーダーを刺し込めないぞ。
俺たちにゃ、そっちの方が問題だ。リコーダーは小学生のステイタス。クラスの混乱を知ってか知らずか、謎の転校生は、静かに笑って俺の質問に答えた。
「そうですよ。辞典と小説です(笑)」
涼しい笑顔でさらりと答える。都会の小学生は、普通に小説を読むのか……。その時、眼鏡の白銀のフレームがキラリと光った。そう、それな。俺は、それを見逃さない……アニメでお馴染みのお約束ってヤツだ。俺の質問に答えた次は、転校生のターンである。
「ところで、あなたのお名前は?」
「あ、ごめん。俺の名前は飛川三縁、よろしくな(笑)」
これが俺と桜木との出会いだった。俺の知る限り、桜木はいつも本を読んでいる。剣道の有段者のように、ピンと姿勢を整えて、息をするように本を読む。読書に達人がいるのなら、桜木は紛れもなく達人だ。こいつは賢い、途轍もなく。だから俺は電話で桜木に相談したんだ。
「桜木様。俺にブログのやり方、教えてくれね?」
その言葉に、一片の迷いもなかった。
「いいですよ(笑) 夏休みの自由研究にするのでしょう? そうですね、カブトムシの観察日記ってところでしょうか?」
このクソ暑いのにクールな声だ。
「やったぁ~! でも、なんで分かった?」
やっぱりお前は、メンタリストだ! メンタリスト桜木様や!
俺の初めてのブログ。それが、六年以上も続くことになるなんて、ノストラダムスでも気づくまい。これが神の伏線の始まりだった。のんと俺を結ぶ赤い糸。
その前に、神の試練が待っていた。ブログを始めて、すぐに俺はネットでやらかしたのだ。オカンと共に校長室に呼び出され、散々、油を絞られる。これでもかと搾り取られた。その直接の原因となったのが、じいちゃんのカブトムシだった。
───なんでなん?
コメント