のんちゃんのブログ王〝002 小6の夏〟

小説始めました

002 小6の夏

 ブログの相談をした翌日の午後、桜木が俺の家にやってきた。礼儀正しい優等生は、大人たちからの信頼が厚い。当然のように、我が家でも顔パスである。クラスメイトには頼られて、大人たちには一目置かれる存在だ。桜木にはその魅力があった。敵に回すと厄介だけれど、味方にすれば最強だ。俺が手放すはずもない。桜木君、俺は一生ついてゆきます!

「あらあら、あらあらあらあら。桜木君、いらっしゃい(笑)」

 今日のオカンは“あら”の数が四つも多い。今日の“あら”は、今年最高記録の“あら”だった。

 桜木へのオカンの対応。それは、他の友だちと明らかに違っている。声のトーンからして違うのだ。今日の声は、いつもに比べて2オクターブくらい高かった。受話器の声の上位互換の音色である。それに加えて、このおやつ。いちごケーキにミルクだって?……お母さん。ところで、今日は何の日ですか? なぁ、桜木よ、明日もウチくる?

 遠足気分の俺に対して、桜木は、いつもと同じマイペース。

「パソコンはありますか? スマホでもできますが……僕はどちらでも構いませんよ(笑)」

 待ってました! 俺は、入手したてのパソコンを桜木に差し出した。最上級の笑顔を添えて。

「ジャーン! ノートPCゲットだぜ」

「ありがとうございます。では、やってみましょうね(笑)」

 桜木はミルクを口に含むと、すぐさまブログ攻略に取りかかる。

「ところで、このパソコンはどうしたんですか?」

 そうだよな。それは、当たり前の質問だった。

「オトンの会社に落ちてたらしい(汗)」

「それはラッキーでしたね」

 昨日、俺はオトンにブログの話をした。夏休みの自由研究で、ブログをやりたい的な話しである。オトンには、俺がブログを書くことに“思うところ”があったようだ。頑なに、それを渋っていたオトンだけれど、桜木ブランドが後を押した。だから、俺にパソコンをくれたのだ。会社に転がっていた古い機種。その時、俺はパソコンが会社には落ちているらしいことを学んだのだ。

「見てみて、桜木ぃ~、カッケーだろ?」

 大人の階段と書いてパソコンと読む。

 15インチの漆黒のボディ。手に持つと、ズッシリとした重力が腕に伝わる。そして、天板に刻印された社名ロゴ。俺に英語は読めないけれど、アルファベットがカッコイイ。筐体きょうたいにこそ大きなスリ傷があったけれど、それは全く気にならなかった。そして、このディスプレイが世界に繋がる窓である。

 このパソコンで、俺は桜木と天下を取るのじゃ! エイ、エイ、オー!!! 俺の野望が膨らんだ。

 有頂天な俺を見て、オトンもうれしかったのだろうか? 昼休みを利用して、パソコンのセッティングまでを済ませてくれた。

「Wi-Fiで、ネットにパソコン繋げてあるから、後は桜木君に任せれば十分だろう。彼は優秀だからな、お前と違って。まぁ、しっかりがんばれよ」

 そう言い残して、オトンは会社に戻っていった───お前と違って……その言いぐさにムカついた。でも、桜木と比べられたら誰でもそう言われるのだろう。今は何を言われても構わない。憧れのパソコンが手に入ったのだ。

 パソコンの天板をタオルで磨きながら、俺は桜木を待っていた。タオルの動きにうれしさがにじみ出る。これから、俺のブログがこの世に生まれ出ようとしているのだ。興奮しない方がどうかしている。

「それでは、よろしくお願いします(笑)」

 すきっと爽やか桜木にノートパソコンを手渡すと、30分も経たぬうちにブログ環境を整えてしまった。控えめに言っても、お前って……魔法使い? このあっけなさに、そんな気分にもなってしまう。こんなとき、大人はこう言うのだろうか?

 アナタになら抱かれたいと……。

「スゲぇ~な、お前、スーパー小学生じゃん」

 俺は、興奮気味に桜木を褒め称えた。

「いえ、飛川君のお父さんが、パソコンとネットのセッティングをしてくれていたお陰ですよ。僕が凄いわけではありません」

 桜木は、どこまでも謙虚な男であった。あいつの辞書には、マウントという言葉などないのだろう。だって、その必要もない男だから。

「そんなことないって、お前は凄いよ。それで写真はどうするの?」

「まずは、写真の撮影が必要ですね」

 興奮行きのバスに乗って、俺はその場でカブトムシの写真を撮った。当時の俺にはスマホがない。だから、写真はオトンの古いデジカメ。使い方だって知っている。

 オカンの話じゃ『スマホは不良への第一歩』なんだとさ。だったらいつも、ライダー動画をスマホで見ているオッツーは、そりゃもう立派な不良だな。

 でも、デジカメだって大人の階段。俺はオトンのカメラで、後ろから前から、横から上から。全方向からカブトムシを撮った。ここから先は、桜木先生の出番であります!

「写真を撮りました。撮り終えました」

「もう、存分にカブトムシの写真は撮れましたか? 撮り残しはありませんか?」

「だいじょうぶです!」

「では、始めましょう。飛川君、デジカメを僕に」

 デジカメを桜木に手渡すと、慣れた手つきでデジカメからSDカードを引き抜いた。俺は一瞬、壊れると思った。でも、桜木を信じて黙って見てた。桜木の人さし指と親指との間に挟まれたSDカードが、パソコンの側面に吸い込まれる───『ミラクル合体!』なぜだか俺は、心の中で叫んでいた。

「準備が整ったところで、パソコンを起動させましょう(笑)」

 桜木は簡単に言った。簡単に起動させましょうと言われても、俺の戸惑いは隠せない。

「オトンのパソコン、学校のパソコンと同じかな?」

「そうですよ。そのボタンです(笑)」

 桜木の指示に俺は従う。すると、パソコンの画面が明るくなった。無意識に俺はマウスを動かした。白い矢印が俺の動きと同調している。それだけで、俺の心は幸福感に包まれた。

「それでは、何か文字を打ってください」

 桜木は待ってくれない。余韻に浸る間もなく桜木の指示に俺は従う。

「もう、打ち始めていいのかな?」

「ええ。好きなように打ってください」

 パソコン画面に表示された設定済みのダッシュボード。そこに俺は文字を打つ。マウスの操作はすんなりで、苦労したのはキーボードである。桜木は10本の指をキーボードの上で踊らせていたけれど、俺は右手の人さし指だけでキーを叩いた。キーボードと格闘の間、桜木は黙って俺を見守り続けた。後に、そんな俺を「かまきり拳法」だと呟くオトンとはえらい違いだ。

「飛川君。慌てなくてもいいですよ。間違わないように、ゆっくりと文字を打ち込んでくださいね」

 今思えば、桜木という男。その気長さたるや、お釈迦様やキリスト様の領域だった。どう考えても、普通にイラつく作業である。なのに、笑顔を絶やさない。

 長い時間を掛け、ようやく俺は打ち込み作業を終了させた。そこからは早かった。マウスだけなら俺でも早い。記事に画像を挿入し、投稿ボタンを押してみる。

 ぽちっとな(笑)

 すると、パソコン画面に表示されたブラウザから、俺のカブトムシが秒で出た。それは、ほんとに秒だった。頭の中では、不思議と疑問との交差飛び。大縄跳びのタイミングでも計るように、俺は桜木に聞いてみた。

「これって、みんなのネットにも写真が出るの? パソコンの電気を切ったら、俺のカブトムシも消えるの?」

「飛川君のカブトムシは、今、全世界へ羽ばたきました。だから、電源を落としてもカブトムシは消えません」

「マジっすか?……だったら、コレさ。みんなからも見えるの?」

 幼稚園児にでも教えるように、桜木は俺に提案した。

「おばさんのスマホから、ブログが表示されるか確認してもらってくれますか?」

「ちょっと待って! お母様ぁ~、ちょっと来て!」

 俺は、桜木に言われるがまま、オカンのスマホからアクセスしてもらう。すると、オカンのスマホ画面にカブトムシ。同時に、オカンの口から驚きの声が飛んだ。

「あら、いやだ(汗)」

「なんでなん?」

 俺は少しムッとした。もっと、こう、褒めるとかないの?

「桜木君、うちの子が、これを作ったの?」

 俺は無視かい?

「そうですよ。飛川君、がんばりましたよ(笑)」

 ホントにネットでカブトムシ! 俺はこの時、ネットの仕組みを漠然と理解し始めていた。アメリカでも、イギリスでも、南半球のオーストラリアでさえも。全世界に向けて、この瞬間、俺のカブトムシが表示されるのだ。北極だって、南極だって……あの日の興奮が忘れられない。今でも鮮明に覚えている。ビシビシと伝わる俺の心臓の震えと共に。

 この体験は快感だ!!!

 その快感を味わう暇もなく、桜木が俺にクールなボイスで問いかける。俺の知らない大切な決めごとが残っていたのだ。

「飛川君、あなたのハンドルネームは何にしますか? このままでは僕は家に帰れません」

「ハンドル……何それ、食えるの? 美味しいの?」

 俺には桜木の質問が理解できない。それよりも、もう、帰っちゃうの? 桜木よ、ケーキがもう一個、冷蔵庫の中にあるかもよ? お礼に晩ご飯でも食べて帰らない?

「いえいえ。ハンドルネームは食べられませんよ(笑)インターネットで使う飛川君の新しい名前です。本当の名前をネットで使うと、学校にバレたら怒られますからね。ネットの世界は小学生にそこら辺が厳しいんです」

 そっか、厳しいのか。たぶん、理解しました。

「じゃ、カブトムシで!」

 俺の答えは即答だった。

「え? よろしいのですか? そんなに簡単に名前を決めてしまって。あなたは、この先、ずっとその名で呼ばれることになるのですよ。これから先、カブトムシと呼ばれても後悔しませんか?」

 桜木は不安げだ。だって、カブトムシだもの。当たり前だ。でも、俺の心はひとつです。

「大丈夫。じゃ、カブトムシで(笑)」

 武士に二言などありませぬぞ、桜木殿。俺は、『じゃ、かけ小で(笑)』そんな勢いで桜木に頼み込んだ。

「そうですか……どうなっても、僕は知りませんよ」

 その瞬間、ネットでの俺の呼び名はカブトムシになった。あの日からずっと、ずっと。高3の今でも、俺のハンドルネームはカブトムシである。格好良いし覚えられやすい。最高の名前だと思ったんだよ……あの時は。

「くれぐれも、家の写真や家族の写真。あなたの写真を投稿してはいけませんよ。それだけは約束してくださいね」

 満足の極みの俺に対し、桜木は強く念を押す。どことなく心配そうな表情で。そんな顔、桜木はクラスの誰にも見せないだろう。とても、不安げに俺には見えた。

「やらないよ。絶対、やらない。おとこの約束だけは絶対に守る!」

「それを聞いて安心しました(笑)」

 いつもの笑顔に戻った桜木は、最後まで残しておいたケーキの苺を口に入れ、その後すぐに家に帰った。俺は、もう少し家にいてほしい思いはあったけれど、これで俺の自由研究は完璧だ(笑)

───今日も元気だ、ブログを書こう。

 その日から、俺は毎日カブトムシ三昧の日々を過ごした。その日のカブトムシをブログに投稿し続けた。ブログに異変が起きるまで、さほどの時間を要さなかった。

 それは、俺の異変と呼ぶべきか? お盆前、無知な俺でも気づいてしまう。カブトムシの異様な光景。それは、メスに覆い被さるオスの姿だった。喧嘩でもしてるのか? オスとメスでぇ?

 オスとメスとが今日も何かをやっている。それが不思議でたまらなかった。何を思ったのか? 俺は、オスとメスとが重なる画像だけを投稿し始めた。それは、たかが子どもの好奇心であった。すると、どこかの誰かが拡散したのだ。

 オトンの“思うところ”と、桜木の“不安げな顔”は的中し、俺はネットの洗礼を受けた───いわゆる炎上である。

 拡散は拡散を呼び、小さな火種は炎になって燃え上がる。瞬く間に俺のブログに人が集まった。その閲覧者の中に“のん”もいた。けれど、俺にそれを知る由もない。コメントに書き込めないよう、俺に黙って桜木が設定していたからだ。ブログの閲覧数のカウント表示もオフであった。

 何も知らずに、俺はひたすらカブトムシの写真を投稿し続けた。そしてお盆の夜、俺のブログが見られなくなった。アクセス集中に煽られて、サーバーダウンになったのだ。そんな状態がしばらく続いた。為す術のない俺は、オトンに相談してみるも、オトンはアナログで話にならない。

 困り果てた俺は、結局、桜木に助けを求めた。桜木は夏期講習で忙しく、そのまま待つように指示を受けた。俺は桜木の言葉を信じて、暇なお盆休みを過ごしていた。二匹のカブトムシを撮影しながら……。

 長く感じたお盆休みが明け、俺のブログがようやく開いた。

「やっほ!」

 俺はブログの更新を再開した。すると、血相を変えたのがオカンである。俺を見るなり、オカンが俺を怒鳴りつけた。今朝、学校から呼び出しがあったのだと吠えている。俺にはオカンの言っている意味が分からない。

「アンタ、ネットで何してるのよ! 怒らないから話しなさい!」

 それ、絶対に怒るやつだ。訳の分からぬ俺の答えは決まってる。

「カブトムシだよ、それが何か?」

 俺はオカンの逆鱗げきりんにガソリンをぶっ掛けたようである。オカンは、逆鱗から怒髪天になった。こうなったら止められない。

「何やった!」

「知らん!」

 その日。俺とオカンとの会話は、この二言の連続だけで終わった気がする。夜になって、『何やった』に、オトンの声が参戦した。俺の家族はアナログである。そもそもブログがブラックボックスなのである。そんなカブトムシの謎が解けたのは、俺とオカンが呼び出された校長室の中であった。

 それでも俺はくじけない。いつものように、俺はカブトムシの写真を撮り続けた。その撮影は、夏休みが終わるまで続けられる……。

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