007 ゆいとのん
ウチは最低の女だった。
〝のん〟をいじめた。小学の頃、仲間といじめた。ジメジメいじめた。とことんいじめた。憎らしかったんだ。あの子。
おとなしくて、頭がよくて、可愛くて。その上、体が弱いものだから。男子も先生も、どいつもこいつも、あの子にばかり優しいの。可愛いから依怙贔屓? だからって、なんなのよ。超ムカつく。
抜けるような白い肌と、男子を惹きつける顔立ちと、何よりも眼鏡から覗く、あの瞳が気に食わない。何よ、あのまつげ───長過ぎよ!
あの子の何もかもが気に入らない。だから、眼鏡を隠してやった。あの子、ド近眼だから。分厚いレンズの眼鏡がないと、教科書だって読めないんだ。
眼鏡をなくしてお可哀想に。それが、とても気持ちよかった。あーせいせいする。ウチの気分、爽快だった。一生、眼鏡なしで困ってなさいよ(笑)
でも、あの子。まったく騒がない。眼鏡がないことを誰にも言わない。先生にも言わない。あの子、眼鏡を外すと超絶美少女だから。それをずっと見られてるから。男子の鼻の下、めっちゃ伸びてた。バカみたいに伸びていた。
それで、あの子も周りが見えてないから、見られてることに気づかない。だからみんなが、あの子の顔を眺めてた。見られ放題って、なんなのよ、それ?
それが、めっちゃムカついた。あんたらさ、ウチの顔も拝みなさいよ。はっきり言って、あの子よりウチの方が美人なんだ。だからやさしい一面も、男どもに見せとかないと。そう思って、ウチは話しかけたんだ。あの子にとてもやさしくね。
「眼鏡なくしたの? だったら、教科書の文字が読めないでしょ? 眼鏡、ウチも一緒に探してあげよっか?」
ウチのやさしいは、意地悪でできている。ドロドロとした意地悪で。受け取んなさいよ、ウチの意地悪(笑) そしたら、あの子、なんて言ったと思う?
「うん、ありがとう。でも、教科書の中身は頭の中に入ってるから大丈夫。帰ったら、お母さんに、スペアの眼鏡を出してもらうから気にしないで」
だって。
この子、ウチが犯人だって知ってるくせに、ぬけしゃーしゃーと、こんなことを平気で言うのよ。イケてないフレームの分厚いレンズ。その眼鏡、返すタイミングがないじゃない!
何さ、教科書ぜんぶ記憶済みって? あんたAI? あんたロボット? あんたの人生、何度目ですか? 少しはもっと困りなさいよ! こいつ、こいつ、こいつ……あーーーーーーーっ、超ムカつく。
ウチはそんな小学生だった。心の醜い小学生。でも、中学に入って世界が変わった。いじめのターゲットがウチに向かったのだ。あの時、あの子を一緒にいじめたやつら。そいつらまでもが、ウチを目の敵にし始めた───毎日が地獄だった。
何が辛いかって? シカトだよ。クラス全員から無視される気持ち、お前らにわかる? アウェイの気持ちがお前らにわかる? だから、休み時間は別のクラスの友だちと話をしてた───でもダメだった。
ゴールデンウィーク明けの月曜日。ウチは全校生からシカトされた。相談する相手なんて誰もいない。群れからはぐれた女は孤独だ。男なんかにはわからない、女の世界は残酷なんだ。
───誰よ?───その女!
どいつもこいつも、そんな目で見やがる……。
先生だって? ウチの話なんて聞いてくれるわけない。あの人たちは、お仕事で学校に来てるんだ。だから、先生にとって、ウチの話なんて厄介なだけ。
そんなウチを気にかけてくれる先生がいた───そんなドラマみたいな教師はいない。あんなのは、ご都合主義の妄想だ。適当に言いくるめられてそれで終わり。ドラマに出てくる教師なんて嘘っぱちなんだよ、現実は。
いじめる側だったウチは、そのすべてを知り尽くしている。その心理も知り尽くしている。こうなってしまったら、何をやってもむだなことも。一学期、ウチは孤独の中で暮らしていた。
その時だよ、ウチがいじめたあの子と目が合ったのは。すると、あの子はウチに微笑んで見せた。よっぽど、気分がよいのだろう。あんなにもムカつく笑顔を、ウチは今まで見たことがない。呪ってやりたい笑顔だった。
夏休みが明けても、ウチは学校に行かなかった。名前も知らない悪いやつらと遊び始めた。中学校をブッチしてから半月くらいたってから、あの子がウチの家にやってきたんだ。
「ゆいちゃん、学校、来ないの?」
ぬけしゃぁーしゃぁーとは、このことだ。あら、ご自慢のお眼鏡は? コンタクトにでも変えちゃった? あぁ、何もかもがムカつく。
「何しに来たの? ウチ、忙しいんだけど?」
「なんかねぇ、これ、学校のプリント。先生が持ってけって」
きっと、クラスの全員が拒否したんだ。ウチの家に行くことを。ウチに会いに行くことを。去年まで仲間だったアイツらも、きっと、それを拒否ったんだ。
ウチが何した? あんたらに、ウチがなんか悪いことでもした? ウチは絶対悪くない。なのにどうしてこの子が来るの? ムカつく、ムカつく、ムカつくんだよ。何もかも。
「わたしねぇ。ゆいちゃんいないと寂しいんだけどねぇ。だって、去年、わたし眼鏡なくしたでしょ? あの時、気づいてくれたの、ゆいちゃんだけだったの。一緒に探そうって言ってくれたの、ゆいちゃんだけだった。わたしねぇ。ゆいちゃんずっと待ってたんだ。学校に来ない? なんかねぇ、わたしじゃ嫌かもしれないけどねぇ」
俯きがちに、そう言ったんだ……あの子。ムカつく憎らしいあの子が、誰にも見向きもされないウチに、そう言ったんだ。バカなの? 死ぬの? ウチね、よくわからないけど、涙が出た。大嫌いなあの子に涙が止まらなくなったんだ。
「ごめんね、ごめんね、ごめんなさい……」
あの時、あの子にそればっか……言ったと思う。あの子は困ったような顔してた。ウチの涙の意味がわからないの?
あの子は、それを理解していなかった。成績いいのに、学年トップクラスなのに。こんな簡単なことがわからないの? それがウチには不思議だった。だから、みんなが惹きつけられるのか、あの子に。
「ウチ、眼鏡取った……」
そう言って、ウチは部屋に駆け込んだ。あの子の眼鏡、まだ持ってる。だから、返さなきゃって思ったんだ。
「ごめん……これ、返すわ」
あの子はキョトンとした顔をしてた。それでもまだ、何も気づかない天然だった。天然の域を凌駕した、超天然素材な娘だった。
「うわぁ~、あの眼鏡。ゆいちゃんが拾ってくれたんだ。ありがとうねぇ」
この子、生粋のド天然だ。ウチ、なんだか笑っちゃって……中学に入って初めて笑った。この子は不思議ちゃんだった。去年と容姿が変わらない。成長期とか、思春期とか、そういうの。まったくこの子から感じられない。なのに胸だけが、謎の成長過程に入ってる。おかしいでしょ? 胸だけよ。
きっと、この子とウチが街を一緒に歩いたら、ウチは、お姉さんと間違われるだろう。まじまじと顔を見ると、どう見たって、幼い小学生の顔をしている。中学の制服が似合わない。制服が少しブカブカなところが、幼さを助長させている。
「バカ。あの時、ウチが取ったんだ。その眼鏡。でも、眼鏡が捨てられなくて、ずっと、引き出しの中に入れてたんだ。本当にごめんなさい。あんたをいじめて。あんたの気持ち、今ならわかる……」
「ゆいちゃん、わたし……いじめてたの? わたし、ゆいちゃんにいじめられちゃってたの? 知らなかったねぇ、それ」
あの子は照れくさそうに笑っていた。つられてウチも笑ってしまった。心のつかえが取れた気分だ。今からでも、ウチはあの子と友だちになれるかな? それを訊くのが怖かった。でも、今じゃないとダメな気がした。勇気を振り絞って、今、言わなきゃ!
「こんなウチだけれど、ウチのダチになってくれる?」
「わたし、ゆいちゃんとずっとお友だちだと思ってたけどねぇ……ごめん、違ってた?」
あの翌日から、ウチは学校に行くようになった。親友、のんちゃんに会うために。そして知ったんだ。
───のんちゃんのお月様の存在を。
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