のんちゃんのブログ王〝010 ポメラ〟

小説始めました

010 ポメラ

 あのコメントは本物だった。

 旅乃琴里たびの ことりが書いたのだ。その事実が発覚したのは、コメントが書き込まれた翌日である。ご丁寧に、出版社からの謝罪メールが届いたのだ。俺のブログは、よほどの炎上っぷりだったのだろう。その対応の早さに驚くばかりだ。

───先日の書き込みは、旅乃琴里本人によるものです。大変なご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申しあげます。つきましては、旅乃琴里からの書き込みの削除をお願いいたします。

 謝罪という名の削除依頼だった。

 けれど、あのコメントが本人だったとは……。俺は、優秀なスタッフに旅乃琴里が守られていることを理解した。都市伝説だと思われていた旅乃琴里の鉄のガード。それは存在したのだ。この迅速な対応に好感しか感じない。

 だがしかし、このメールには続きがあった。本件のお詫びとして、直筆サイン入り新作本を送りたいと書いてある。そうなると話は変わる。これはもう、詐欺の手口だ。

 俺だってバカじゃない。感動して損をした。こいつだってなりすまし。その可能性は否めない。迂闊うかつに住所と氏名なんて教えたら、俺はどんな目に合わされるのか? 考えただけでもゾッとする。

 でも、俺は自分でその答えが出せない。それを痛いほど自覚している。もしかして……そんな期待が拭えない。今夜はもう遅い。明日、桜木に相談しよう。メールの件は、明日に持ち越すのが得策である。

 翌朝、俺は学校で桜木に相談した。

「旅乃琴里の出版社からメールが入った。俺への謝罪とコメントの削除依頼が書かれていた」

 桜木は冷静に答えた。 

「一昨日のお昼休みの一件ですか?」

 それだけで、アケミだったら大騒ぎだ。けれど、桜木は出版社の言葉にさえ動じなかった。その冷静さは、今の俺の状況を既に想定済みだったと勘ぐるほどだ。

「そうそう。それが、ちょっと困ってな……。これ、読んでみてくれない?」

 俺は昨日のメールを桜木にスマホで見せた。

「これは確かに、飛川君が悩むのも当然ですね。少し待ってください……」

 桜木は自分のスマホで何かを調べ始めた。どうやら、メールに記載された情報に、嘘がないことを確認しているようである。

「メールの出版社は本物のようですね。今は朝早いですから、お昼休みに直接電話で問い合わせしてみますね。では、後ほど」

 そう言って、桜木は自分の教室の中へ入っていった。桜木に相談しただけで、俺の気分は軽くなった。そして昼休み。問い合わせの結果を持って、桜木が俺のクラスにやってきた。

「先ほど電話で問い合わせました。あのメールは本物でしたよ。凄いですね、飛川君!」

 いつも冷静な桜木も、興奮を隠せないようだった。

 あのメールは本物だった。つまり、あのコメント主は、旅乃琴里であることが確定したのだ。それに興奮したのがアケミである。その情報を、アケミへたれ込んだのは、俺の後ろの席で弁当を食べていたオッツーだった。

「オッツーから話は聞いたわよ。旅乃琴里のサイン入りの本の話。サヨちゃん、ラノベに興味ないでしょ? だったら、わたしに本を頂戴!」

 神と崇める旅乃琴里のサイン入りだ。その新作が、欲しくて、欲しくて、たまらないのだ。

「何でもいいけど、情報伝達早いよな? もしかして、オッツーと付きあってんの?」

 俺は皮肉を込めてアケミに言った。後ろの席のオッツーは、満更でもない顔をしている───まさか、付きあってんの?

 昼休みになると、毎日、アケミは俺の教室に通い続けた。1階から3階まで、ご苦労なことである。

「ねぇ、ねぇ。旅乃琴里、届いた?」

 旅乃琴里は届かない。

 熱心なアケミに、根負けしたというか、どうでもよくなったというか。俺は届けられた新刊をアケミに譲り渡した。すると、アケミは今年最高の笑顔を見せた。その喜びを忘れるなよ。この本は、お前への貸しだから。俺は軽く優越感に浸っていた。俺の貸しが何倍にもなって返ってくる。そんな未来があるとも知らずに。

「やったぁ! じゃ、またねん(笑)」

 大いなる目的を果たした途端、俺の前からアケミの姿がプツリと消えた。現金なやつである。でも、それがアケミだ。

 ようやく俺の昼休みに平穏が戻った。オッツーは寂しげだけれど、どうせ放課後になれば顔を合わす仲なのだ。昼休みくらい、どうということはない。

───許せよ、アケミ……。

 実は、アケミに内緒にしていることがあった。出版社からの小包の中には、書籍のほかにポメラが同包されていたことを。

 桜木の説明によると、ポメラは作家界隈かいわいで重宝されるガジェットだと言う。その用途は、パソコンよりもワープロに近い。文字しか書けない、画像が見れない、ネットもゲームも何もできない。ポメラ単体では、印刷すら不可能だと言う。つまり、俺が使う要素がまるでない。正直、それにはガッカリした。

 小包の中にはもうひとつ。ポメラの箱に、旅乃琴里からの直筆の絵葉書が添えられていた。

☆☆☆☆☆☆

 拝啓、カブトムシ様。

 何年後でも構いません。このポメラであなたの小説を書いてください。あなたには、誰にも持てない才能があります。それをわたしは読んでみたい。ずっと待っています。それでは、いつかどこかで。

 かしこ

 旅乃琴里より

☆☆☆☆☆☆

───絵葉書の裏には、ひまわりが咲き誇る花畑。

 写真の右下に小さく“北海道”の文字があった。出版社へ確認してもらったお礼も兼ねて、俺は旅乃琴里からの葉書を桜木に見せた。それを読んだ桜木が、一瞬、眉をひそめた感じがした。絵葉書から何かを察したような表情に見えた。

 もしかして、リアルな旅乃琴里を知っているのか? その後、桜木の口から出た言葉が意外だった。桜木までもが、俺に小説を書けと勧めたからだ。

「僕も旅乃琴里さんと同じことを考えていました。公園で、僕にくれた本。飛川君は、覚えていますか?」

 何の話だ? 桜木よ。俺は記憶の引き出しをまさぐった。

「ツクヨちゃんに作った畑の天下一武道会シリーズです。本を売ってほしい……そう、あなたに頼んだあの時から、それをずっと考えていました」

 そんなこともあったかな……。なんだぁ、野菜の話かぁ。俺は少しがっかりだ。あんな話は、誰にでも書ける。

「あなたの文章は、ブログにも小説にも、どちらにも向いています。せっかくのプロ作家さんからの贈り物ですよ。どうですか? 旅乃琴里のポメラで小説を書いてみませんか? 僕だって、できることなら、飛川君の小説が読んでみたい」

 俺にそれ、言う?

 次に眉をひそめるのは俺の番だ。学校一の秀才に、そう言われても実感が湧かない。俺にはね、ないんだよ。どれだけ桜木に言われても、小説を書くだけの才能ってものが。仮に俺とお前とが競い合えば、俺はお前の下位互換にすらならないさ。俺の実力なんてそんなもんだ。

 その時、俺は小説を書く気などサラサラなかった。ブログだけで精一杯だった。その俺が、小説を書くなんてどうかしている。笑われてけなされるのがオチである。小説を書くなら桜木の方が向いてる。悲しいけれど文章だって、俺なんかよりもお前だよ。

「やだ!」

 俺の抵抗に、構わず桜木は話を続ける。

「そうですか。少しは、やる気になってくれると思ったのですけれど。ここでも同じ反応でしたか。でも、あなたはきっと書きますよ。近い将来、小説をね」

 ここでも? 桜木は、絵葉書のひまわりを眺めている。懐かしむような、悲しそうな……。桜木の顔から、いつものクールな表情が消えていた。

「にしても、999本までは知っていますが、100万本のひまわりの絵葉書とは……実にあからさまですね。旅乃琴里は……」

 あからさま?

 桜木は、たまにそんな言葉を吐く男だ。人生を何度も経験したような、同じ時間を繰り返しているような……時折、そんなパラレルな言い回しをする男である。

 そして実際、勉強のみならず何をやらせても器用にこなす。何をやっても一発クリア。それが桜木という男である。もしかしたら、それはない……か。

 桜木だって、努力もする。けれど、誰から見ても天才肌だ。俺なんて、何をやっても足元にすら及ばない。俺はお前とは違うんだよ。知ってんだ、俺に小説なんて無理だって。下手な買いかぶりはやめてくれ。

「ところで、桜木。もう、小説なんてAIで自動生成可能なんだろ? 何かの賞で最終選考まで残った小説が、AIで書いたのがバレて大騒ぎになったニュースがあったよな? もう、小説なんてAIが書く時代なんじゃねーの? 少なくとも、俺が書くよりご立派な作品ができるぞ(笑) そうは思わないか、桜木君?」

 俺は意地悪な質問を桜木にぶつけた。

「そうですね。昨今のAI技術の進歩には、目を見張るものがありますね。それでも、人の文章には敵いませんよ。技術が進めば進むほど、完璧に近づくほど。人の血の通わない、実につまらない作品が幾つも量産されるだけでしょうね(笑)」

「なんでだよ?」

 俺は桜木にツッコんだ。変わらず桜木は、淡々と持論を唱える。

「機械にはイレギュラーがありませんから。人が紡ぐ文章には、必ずイレギュラーが紛れ込みます。ハウツー本ならいざ知らず、小さなトゲのような引っかかりが、小説にはあるものです。意図的だとしても、ミスだとしても」

「だから?」

「なぜそうなるのか? 狙ってなければ、書いている本人にもわかりません。でも、それが読み手の心に深く突き刺さることもあるんです。不要に見える一行に。要らないはずの一言に。世の中には、それで恋に落ちる人だっているのですよ。もう後には引けないような、自らの命を削るような、そんな恋だってありますよ(笑)───それだけは、絶対にAIにはできません」

 それって、それこそ小説の話だろ? 小説を読んだ読者が作者に恋をする。そこまでなら理解もできる。そんな話も聞いたこともある。でも、命を削るってのはいささか大げさな話だろ? いくら好きでも命までは懸けない。そんなことはあり得ない。断言しよう、絶対だ。

 その時、俺は知らずにいた。俺の身近に、その経験を持つ人物がいることを。

「そんなもんかねぇ、桜木君」

「そんなものですよ、飛川君。人生を重ねれば、あなたにも理解する日がくるでしょう。さぁ、僕はそろそろ帰らないと。そうそう、先日、飛川君のおじいさんから、たくさんの野菜をいただきました。美味しかったとお伝えください」

 不可思議な言葉を言い残し、桜木は家に帰っていった。旅乃琴里からの絵葉書とポメラ。俺はそれをデスクの引き出しの奥へと仕舞い込んだ。俺の主戦場はブログなのだ。のんが俺の記事を待っている。さぁ、今日も元気にブログを書こう。

 今日の記事ネタはゆきにしよう。讃岐さぬきの富豪シリーズは人気あるからな。ゆきんちの庭で、ふたつ目の噴水が完成間近らしいのだ。何度でも言う。お金持ちってのは、庭の噴水の数で優劣が決まるんだぜ、知らんけど(笑)

 翌日、桜木が俺の教室へやってきた。桜木は俺の隣のクラスだから、俺の教室に出向くことも珍しくない。

「飛川君。これを受け取ってください」

 ただ、いつもと違うのは、俺に謎のバッグを手渡したことである。そのバッグはズッシリと重たい。もしかして、これ……“チャカ”と呼ばれているやつなのか? ってことは……お前、スパイか?

 いつものイケメンボイスで桜木が語る。

「近い将来、きっとこれが何かのお役に立ちますよ。今から小説を読みはじめるより、この本の方がずっと近道になるでしょう。それは、僕が保証します」

 バックの中身は辞書であった。それを見て、桜木の小学生時代のランドセルが頭を過った。国語、漢字、用語、用字、語彙、類語……。桜木にも思うところがあるのだろう。俺は、桜木からバッグを素直に受け取った。

「え……あ、何かすまんな。参考にさせてもらうよ。有り難く預かっとく(汗)」

 辞書を読む気などサラサラなかった。けれど、桜木の気持ちがうれしかった。

「ありがとうございます。あなたならきっと書きます。かぐやさんだって、きっと同じ考えですよ。あなたは、旅乃琴里が認めた男です。そろそろ自覚してくれませんか? だったら、僕はうれしいのですが……」

 小説とのんとは関係ないだろ? そんなやり取りが、桜木とのんとの間で密かに交わされていたのだろうか?

「え、かぐやちゃんと何かあった? さては、告った?」

 “かぐや”の響きに敏感に反応する男がいた。毎度お馴染みのオッツーである。かぐや、かぐやって騒ぐなよ。クラスのみんなに聞こえるだろ! 声がデカい。

「きゃー!す・て・き ですわぁ♡」

 かぐやの響きに、ゆきまでもが騒ぎ始める。ゆきは、廊下で桜木を待っていたのだ。この場にアケミがいないのが、せめてもの救いであった。この時ばかりは、アケミのクラスが1階であることに感謝した。

「そんなのに付きあってらんねーよ! 桜木に聞けば?」

 そう言って、俺が口を閉ざした。すると、ふたりの矛先が桜木に向かった。ポメラと俺の小説の件を避けながら、桜木は廊下で誤解を解いている。俺とのんとの誤解が解けると、ふたりはつまらなそうな顔した。そして、何もなかったかのように、それぞれの教室に戻っていった。

 オッツーは、俺の後ろの席だけれど。

───かぐや

 放課後クラブの面々は、無条件でこの名前に反応する。それには、大きな理由があった。中学卒業式の日。のんが俺のブログに書いたどちらとも取れるコメントが発端である。

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