日曜日のお昼前。
「おじさーん、まだぁ?」
俺をおじさんと呼ぶんじゃない!
小さな背中に大きなリュック、ツクヨが俺の腕に絡みつく。今日は、これで何度目の催促だろう……。
セルフうどんを食べに行くだけなのに、ツクヨは幼稚園の遠足か何かと思い違いをしているようだ。とはいえ、ツクヨにとって、初めてのセルフうどん。余程、楽しみにしていたのであろう。にしても、このリュック。旅行ですか? のような重装備である。うどんを食べた帰り道。折角だから公園でツクヨを遊ばせよう。
「じゃ、ゲンちゃん行こか!」
今日の行き先は、うどん屋ゲンちゃんである。
「ツクヨ、いっきまーす!!」
テテテテな感じで、ちびガンダムが外に向かって飛び出した。
うどん屋ゲンちゃんの店主は、アヤ姉の幼馴染みである。「少し痩せたら?」そんな、俺の言葉にショックを受けて、アヤ姉はダイエット中の身であった。残念なことに、アヤ姉は大のうどん好き。一緒に行けば、小麦の誘いに敗れてしまう……我慢できるわけがない。行きたくても行けない……そんな、乙女のジレンマ。そこで、オトンが手を挙げた。
「ワシが孫を連れて行く! 初めてのうどん屋はワシのもんだ!」
今朝まで、オトンは粘っていた。けれど、ガチもんで孫を溺愛するオトンである。ツクヨを目に入れても痛いどころか高笑いするだろう。だから、うどんを食べた後が〝ゲーセン&トイザらス〟ルートになるのも明白だ。ツクヨの教育上、それはよくない。オカンもアヤ姉と同意見である。つまり、オトン却下!
で、人畜無害な俺に、アヤ姉から命令が下ったのだ。
羨ましげな、うらめしそうな……オトンの視線を振り切って、俺はツクヨと外に出た。外では、抜けるような青空が広がっていた。今日は、絶好のセルフ日和であった。
「ツクヨ、転ぶから走らない!」
「うぃ!」
うどん屋ゲンちゃんまでは、徒歩十分。念のため、アヤ姉からもゲンちゃんに連絡を入れてあるそうだ。ひゃっひゃっひゃ……ゲンちゃんに、海老天サービスしてもらお(笑)
アヤ姉の全盛期───アヤ姉がスリムだった頃。ゲンちゃんはアヤ姉にほの字だった。弟の俺は、ゲンちゃんの恋の相談を何度も受けた。その度に、ゲンちゃんうどんを食べていた。代金を払った覚えはない。アヤ姉が結婚してから気まずくて、随分とご無沙汰だったけれど、魔女の魔法が解けていないことを切に願う。
いつもの公園の前を横切って、ふたつ目の横断歩道を渡ると〝セルフ〟と書かれたのぼりが見える。
「せ・る・ふっ、ふっ、ふっ♪」
今日の青空と同じで、のぼりを見つけたツクヨはご機嫌さんだ。ようこそ、うどん王国へ! 俺はそんな気分になっていた。
「飛川くん、久しぶりやん! 大きくなったなぁ~、もう中学生か?」
高校生だったゲンちゃんが、ひげ面のおっちゃんになっていた。でも、表裏なき笑顔はそのままだ。
「うぅ?……はい。一年生になりました」
「もしかして、その子が姪っ子?」
「姪っ子は姪っ子ですけど、姪っ子だけはよしてください……」
これだけは、きちんと言っておかないと。
「ははははは……。すまん、すまん。飛川君、まだ若いもんなぁ」
ご理解ありがとうございます。俺はツクヨの背中に手を当てて、ツクヨをゲンちゃんに紹介した。
「アヤ姉の娘、ツクヨです。ほら、ちゃんとゲンちゃんにご挨拶して」
ひげ面のゲンちゃんが、ツクヨの顔を覗き込む。するとツクヨは固まった。
「こんにちは……あざざます……」
あざざます……はて? どこかで聞いたような……なんだっけ?
見知らぬおじさんを前にして、ツクヨは緊張したようである。すると、厨房の奥から助け舟。それも意外な助け舟だった。
「ごゆっくり(笑)」
あ、エッちゃんだ。彼女は、アヤ姉の後輩である。そして、瀬戸の飛び魚と称された伝説のスイマーでもある。何この組み合わせ……もしかしてだけど、もしかして……やっぱ、お前ら……? 俺はふたりの顔を交互に眺めた。疑惑の視線を浴びせると、たまらずゲンちゃんが声をあげた。
「あ……俺、エッ……愛里子と付き合っています」
もしかしてが現実だった。
「えっ、ちょっと待って……えーーーーー!!!」
なんだよ、なんだよ、そりゃないよぉ……。アヤ姉の魔法は、すっかりさっぱり解けていた。俺の海老天の野望も閉ざされた。即座に俺は、財布の中身を確認する。
「で、何にする? 麺、釜から上げたばっかだから、おいしいぞぉ~」
ゲンちゃんがニコニコ笑顔で俺に注文を尋ねた。
「その前に……おめでとうございます」
これは礼儀だ、言わないと。すると、照れくさそうにゲンちゃんが頭を掻いた。それを確認してから注文をお願いする。
「かけをふたつと、小さなお椀と……それと、フォークかスプーンありますか?」
ツクヨのうどんは小さなお椀に取り分けて、残った麺を俺が食べる算段だ。トッピングには、コロッケとたまごの天ぷら。こちらも、ツクヨとシェアして食べるのだ。
「あららららら、サヨちゃん。パパちゃんみたいね。文香先輩、お元気?」
エッちゃんの高い声。パパちゃん……か。それは、幼稚園で散々言われたフレーズである。それには俺も、もう慣れた。
「えぇ、アヤ姉は元気っす。ふくよかにお元気です」
「へぇ、今はどんな感じなのかしら……文香先輩、誰もが羨む超絶美人だったから」
現実とは残酷だ……。
俺が料金を払っているうちに、ツクヨは湯煎機を珍しそうに眺めている。デポに麺を入れてから、お湯のプールで麺を湯通し。シャシャっとデポを振ってお湯を切る。この一連の作業がセルフうどんの醍醐味である。
「やってみたい?」
答えは知ってる。けれど、俺はツクヨにあえて訊いた。
「やってみるさ!」
小さなザクは、やる気満々のようである。その前に、ゲンちゃんに確認しないと。
「ゲンちゃん、ツクヨにデポやらしてもいい?」
「ちょいと待って!」
ゲンちゃんが厨房から飛び出して、謎の踏み台を湯煎機の前に置く。
「ここに上がって。熱いから気を付けてな」
これなら、小さなツクヨでもデポができる。
「それ、土足で乗ってもいいんですか?」
ツクヨだけなら気が引ける。
「子どもはデポやりたがるからな。それ用の踏み台だから気にしないで、気にしないで。それと、これ子ども用な。ちびデポだ」
そう言って、ゲンちゃんはツクヨに麺が入った小さなデポを手渡した。
「それ、子どもの?」
ツクヨはちびデポを握りしめた。
「そうそう、ちびデポで麺をお風呂に入れてあげよう」
ゲンちゃんはツクヨが火傷しなように脇を固める。〝麺の湯通し〟という名の壮大なミッションの始まりだ。頑張れよ、エージェントツクヨ(笑)
「おーおふろ、おふろ、あったかい♪」
ツクヨは、麺をお湯のプールで泳がせる。お湯から手元が離れるように、ちびデポの柄は長い───きっと特注なのだろう。数回、左右にデポを振って、次は上下に動かしてお湯を切る。お湯は切れてないけれど〝ごっこ〟だからこれでいい。どんぶりの中に麺を入れてミッション終了。
「ゲンちゃんうどん、はいたっち!」
大役を果たしたツクヨは満足げな笑顔で、パン♪っと、ゲンちゃんとハイタッチ。
「ありがとう! ゲンちゃんうどん」
この日からゲンちゃんは、ツクヨにみつかる度に〝ゲンちゃんうどん〟と呼ばれることになる。ツクヨからすれば〝わたしのオッツー〟と同じ感覚なのだろうけれど……なんか……ごめん。
「うちのうどん、気に入った?」
「うん! ゲンちゃんうどん、すごくおいしい。よくできました。ひゃくてんまんてん!」
「うれしいねぇ~。またおいで」
「くるくる、きっとくるっ!」
貞子かよ?
ツクヨは、すっかりゲンちゃんと打ち解けたらしい。でもゲンちゃん、これからが大変だよ。だってこの先、ツクヨと長いお付き合いになるのだから。
初めてのセルフうどんに、おいしい、おいしいと言いながら、ツクヨはご機嫌さんでうどんを食べた。いつもと変わらぬおいしさと、自分で茹でた喜びをスパイスに、噛みしめるように食べていた───ツクヨの笑顔も百点満点だった。
ほっと一息。店内を見渡すと、壁に沢山の色紙が貼られている。芸能人やスポーツ選手、漫画家や小説家……。そのど真ん中に〝ベジータ〟の文字があった。目を凝らしてじっくり見ると、フリーザ、当麻紗綾、キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレード……それはない。きっと、ゲンちゃんのいたずらなのであろう……本人が来店してたら大変だわ、こりゃ。
「飛川君も、またおいで」
「今日は、お騒がせして申し訳ありません。ダイエットが終わったら、アヤ姉もうどんを食べにくると思います」
「よろしくどうぞ(笑)」
俺がゲンちゃんに挨拶をしている間に、ツクヨの姿が忽然と消えた。これはヤバイ! ツクヨが神隠しにでも遭ったらアヤ姉に殺される。慌てて辺りを見渡すと、ツクヨがカフェのガラスにへばり付いている。大きなリュックが、窓ガラスにへばり付いたデンデンムシを連想させた。
「何やってんの? デンデンちゃん」
子どもの行動は、いつも謎だ……。
「みてみて、アケミちゃんとゆきちゃんだぁ!」
窓越しにカフェを覗くと、アケミとゆきがパンケーキを食べている。俺たちに気づくと、窓の向こうから小さく手を振ってみせた。
後日談……この日。パンケーキを食べながら、ふたりは〝呪いのフォルダ〟の噂話に花を咲かていたそうだ……健全な俺たちと比べて悪趣味なふたりだった。
コメント
とても楽しく拝読しました。斉藤さんが『カフェのガラスにへばり付いてるガキは何だ?』と言っていたのは、ツクヨちゃんのことだったのですね。ますます、斉藤さんの続きも楽しみになりました(笑)
マコトさん、お久しぶりです。
斎藤さんも初のストーリーテラーで緊張しているようですよ。
金曜日をお楽しみに(笑)