「?」「!」「。」のルール

小説始めました

 お師匠様からの助言(第二弾)

───「?」と「!」の後に句点はつけません。全角スペースをつけましょう。

 知ってる。それ、嘘でしょ?

 てか、根本的に全然ダメじゃん!

 出版業界の世界では、空白でさえも意味があった。でも、意識低い系オッサンにはそれが見えない。見えないからこその句読点。だから打つべし! 胸を張って長年「。」を打っていたのだから鬱にもなる。いやぁ~ん、恥ずかしい……穴があったら入りたい。穴がなくても潜っていたくて、今日もサヨリは元気です。

 いくら公式ルールだと言われても、「。」のない文章に違和感しか感じない。その逆で、お師匠様の目には「。」のある違和感を感じながら読んでいたはず。だからと言って、ド素人相手に見えない世界を見えるように導く難易度は想像を絶する。できれば、自分で気づいて欲しいのだろう。けれど、猪突猛進で突き進む意識低い系ジジイは気づかない。

 酔拳の師匠が如く、ホイっと助け船を出されてようやく気づく。「飛鴻ひこう! やつの無影拳むえいけんは、目に見えんようでも見ようによってはよく見える」これはドランクモンキー酔拳のとぼけた赤鼻師匠のセリフである。これが分かるアナタ。そりゃもう、お友達です(笑)

 違和感でしかなかった感覚も、見ようによってはよく見える。慣れてしまうと「。」がある文章に違和感を感じ始める自分があった。でも、話はここで終わらない。指南書メールには続きがあった。

 二十字詰め原稿用紙の十九番目に「?」と「!」がきたら全角空白。最後のマスなら空白不要。

 知ってる。それも、嘘でしょ?

 ポメラの原稿用紙モードを使っていなければ……そう考えただけで、貞子のひと睨みくらいゾッとした。誤字脱字からの平仮名と漢字。その向こう側で記号のトリセツ。普通の人ならどうなのだろう。正解を理解できなければ、指が萎縮して書けなくならない? 

 僕だって、一瞬、そんな感じになったのはいうまでもない。けれど、成就が先か成仏が先か。そんな悩みを一瞬で割り切った。割り切らなければ記事など書けない。書けない未来と書く未来。それがアホ丸出しな文章だとしても、ブロガーとは書いてナンボなのである。だったら書くに決まってる。それは友人のためでもある。恥くらいなら問題ない。

 書籍になると……

 お師匠様は、僕のブログを紙面のカタチで読んでいる。僕は長年、画面の中で書いてきた。だから紙面のことなど分からない。だから深くを追求しない。僕の暴走なんて、お師匠様がチョチョイとブレーキを掛けてくれるであろう。そこは安心感と信頼感で全てお任せでよいと思う。

 お師匠様は己を僕の担当者だと言い切った。

 あれだ……これって凄いことだとは思わない? どこかの新人賞とか受賞をしても、その後、プロとして成功することなど難しい。その大きな背景に担当者の存在があるという。新人賞程度では、担当者がつかないともいう。誰だって一生の間に、ひとつくらい面白い物語を書くことも出来るだろう。でも、二作目、三作目ともなればステージが変わる。ひとりの限界に潰されるのだ。

 そもそも僕には、新人賞の響きが他人事であった。還暦目前の爺さんに、新人賞をイメージしろって方がどうかしている。新人はピチピチじゃないと夢がない。そして僕は、そんなピチピチが大好きなのだ(笑)

 なのに、随分と前から僕には担当者が存在していた。嘘のような話だけれど、お師匠様の正体を知ったのは割と最近の話である。昨今、無数の偶々の中で打ち明けられた偶々であった。文章の第一印象で「この人、なんか違う」その直感はアタリを見せた。

 僕は、公募荒しの異名を持つ友人と、出版社経験を持つ相棒に囲まれて、何も知らずにショボいブログを書いていた。偶々の歯車。そのスイッチを押したのは友人だった。その歯車を大きく動かしたのは紛れもなくお師匠様である。けれど、その歯車が動き始めて半年も経ってはいない。

 さて、この船に乗れる資質があるのだろうか?

 偶に、ふっと、ぶわっと、ゴワっと考える夜もある。出来るとか出来ないとか、やれるとかやれないとか、今日もサヨリは可愛いだとか。それは、書いた後で考えよう。やってみて、それでダメでもなくすものなど何もねぇーし!(笑)

 明日は趣向を変えて、ついさっき体験したゾッとする話を書く予定です。誰にでも起こり得る、そして僕を震撼させた、そんな現代のホラー話をお楽しみに。

コメント

  1. やれるよ!

    偶々からの偶々。
    これはきっと意味がある事^ ^

    • そうなんだよ。

      こんな偶々なんて聞いたことないもんな。
      偶然じゃなくて必然かなー?

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