短編小説『邂逅(005お兄ちゃん)』

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『邂逅』005お兄ちゃん

 レンタル畑に真っ赤なテント。そこから突き出された双眼鏡が異様であった。それに加えて拡声器である。甲高い共鳴音が耳を刺す。お願いだ、それ以上はやめてくれ。早朝六時の閑静な住宅街。それだけは迷惑千万。オレは条件反射で手を横に振った。

「ちぃ!」

 拡声器からの舌打ちと共にリン先輩のお出ましだった。早朝のシンデレラが赤みがかったホッペをぷぅぅぅっと膨らませてオレを睨んだ。サプライズか何かのつもりだったのだろう。予定を邪魔されたのが気に入らなかったらしい。ご立腹である。

「ただいまっ」

「あ、おはようございます」

「そこの少年、だだいまと言われたら?」

 相変わらず、意地悪な笑顔のできる人だ。その場で固まっていると、朝の散歩の老人が、これまた満面の笑顔でオレの背中を叩いて通り過ぎた。頑張れ、若造!。そう言わんばかりの笑顔であった。なんか爺ちゃん……ありがとな。

「お、おかえりなさい」

 赤いテントの向こう側。そこにそびえる富士山くらい話したいことが山ほどあった。訊きたいことも山ほどあった。けれど、あの笑顔の前では何も言えないオレがいた。

「がんばって書いているわね。ブログ。よくできましたのハンコをあげたい場面だけれど、そのハンコはもう少し先みたい。アー君はまだまだこれから。可能性が見えています」

 いやいやいや。そんなことより、何処の国に行っていたのか? 強化合宿とは何なのか? 普通、そっちの方が気になるでしょう?

「そうですね。ブログの方はこれからですよね。それより、何処の国に行っていたのでしょう?。強化合宿って何ですか?」

 素朴な疑問をそのままぶつけた。

「ん? ベルギーよ。国際芸術アカデミーに呼び出されたの。わたし、絵を描いているじゃない。学校からの依頼を受けてね。わたし東大目指しているの。だから、内申点が上がるって言われたから行ってきたの。今どき、音速ジェットで世界中、何処でも日帰りできる時代じゃないの? もしかして、海外の経験がないとか言う? 四国の中学って、修学旅行は何処に行くの? それより強化合宿って何の話?」

 何その、女子高生がぶらりコンビニ気分で海外旅行て?

 随分な質問返しと心の煽り運転である。そうですか、はい、そうですよ。オレの修学旅行は沖縄でしたよ。有頂天でシーサーの置物を、お土産に買って帰りましたよ。オレが何でも知っているように話しているけど、絵の話は初耳で、強化合宿は、いつもの母親が宇宙スケールの勘違いをしたようだ。なんだよ、国際芸術アカデミーって? それでも美人の称号は最強のアイテムである。その眩しさにオレは言葉を失っていた。いつもの作業着姿がドレスに見える。

「ところで、ところで、アツシ君。わたし、ずっと、ずっと、ずーっと、ベルギーからブログを読んでいたの。でね、思ったの。やっぱり、わたしの目に狂いはなかったって」

 何を言ってるのか分からん人だ。何を言っても可愛い人でもあるのだけれど。その場の空気に耐えきれなくて、オレはジョロに水を注いで、キュウリに水をやり始めた。あ、こいつは収穫時だな……そう思いながら。

「聞いてる? 感性なのよ、感性の問題。人が書く文章ってね、氷山の一角だと思うの。感じたことを文字に書く。それは簡単そうに思えてそうじゃないの。人が文字にできるのはほんの一部。氷山の一角。その下に膨大な思いがないと人の心は動かせない。そう思うの。アー君の感性は凄いよ。あの富士山みたいに。ねぇ、アー君、聞いてるぅ?」

 聞こえていますよ、聞いています。でもそれは、買い被りというやつさ。野菜を育てて思うことなんて誰だって同じようなもの。それを富士山みたいって。えこひいきにも程がある。ん、リン先輩、えこひいきしてくれてるの?

 いっちょう、鎌を掛けてみるか……。

「はい。聞こえていました。でも、それって、他人が聞いたらえこひいきみたいに聞こえます。僕にはそんな感性なんてありませんから」

「わたしはね。好きな人にだけ、えこひいきをするの。だから、これはえこひいきじゃないわよ。思ったことを言ったまでよ」

 ジョロの先がポロリと落ちた。

 落ちた先を取り付けて直して、オレはジョロに水を注いだ。今度は、トマトにお水をあげよう。あ、こいつも収穫時だ。朝飯に丁度いいな。ナスはどうかな、ナスはどうかな……。

 現実逃避、全力だった。

「だからもう少しだけがんばって。その先の風景がわたしはみたいの。そうすれば、あの小包の真相が分かる気がするの……きっとね。曾お爺さんと彼女との関係を知りたいんでしょ? 曾お爺さんの遺伝子が書く文章。そこに謎を解く鍵が隠されているのよ。だから、アー君にしかできないミッションなの、分かってる?」

「だったら、妹もいますけどね」

「中学生の妹さんね。あの子可愛い。あの子の方が、アー君よりも文才がありそうね。でもそれは無理なの。女の子だから。男の気持ちは書けないの。だから、アナタがやるしかないでしょ?」

 またあの笑顔である。なぜだろう、あの笑顔には逆らえない。もしかしたら、前世で出会ってたような気さえし始めた。オレはマジマジと彼女の顔を見た。初めて彼女を直視した。こんなことって……。背中から冷たい汗が流れた。違和感というより嫌な予感。リン先輩、あなた、どう見ても高校生に見えませんね。

「リン先輩。ひとつ聞いてもいいですか?」

「何かしら?」

「リン先輩って高二ですよね?」

「そうだけれど、何か?」

「いや、その……」

「はっきり言いなさいよ、男でしょ?」

「先輩それ、セクハラです。まぁ、それはいいです。僕も男子です。はっきり言います。もしかして、リン先輩って年下ですか?」

「当たり前でしょ? 飛び級してるもん。飛び級組なんて幾らでもいるわよ。わたしみたいに中学飛びは、義務教育の日本ではまだ特例らしいけれど。でもさ、飛び級なんて海外では当たり前だよ。あたくし、順当なら中二デス。でも、もう、お姉さんのフリするの疲れちゃった。よろしくね、お兄ちゃん」

 先輩は妹と同じ年だった。

短編小説『邂逅かいこう』全12話

コメント

  1. ジョロの先がポロリと落ちた瞬間、ささやかなワンシーンだけれど僕のツボにきました。文章が頭の中で映画のようになって楽しく拝読しています。あ、えこひいきではないですよ。

    • ありがとうございます(笑)。
      畑で水やりしていると、しょっちゅうジョロの先が落ちていました。いつかどこかで使ってやろうと温存していたネタでした(汗)。

  2. うおー
    そうきたかー^ ^

    • お楽しみはこれからですばい(笑)。

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