『邂逅』008まほろば
人は生き死にを繰り返す。それを輪廻転生と呼ぶ。そのご都合システムをオレは全力で否定していた。リンとの芋掘りの後、オレは曾爺ちゃんのファイルを読み返した。何度も何度も読み返した。読めば読むほどあの人がリンと重なる。百歩譲って輪廻転生したとしよう。でも、現世に曾爺ちゃんが居なければ、彼女の人生が無駄になる。それが余りにも不憫に思えた。それはダメだ。オレが彼を一緒に探してやろう。これまでの出来事は、オレがそうするために起こったことだから。密かにオレはそう考えていた。
でも、そんな単純な話じゃない。そうこうしている間にオレとリンとの距離は遠ざかった。毎日のように妹の部屋に家庭教師に来るのだけれど、自信のなさからオレはリンを避けるようになっていた。十二月に入ると、妹はリンのことを『リンの姉御』と呼ぶようになっていた。妹はリンに対して絶大な信頼を寄せている。この調子なら再来年、妹はリンの高校へ通うのだろう。その意味でも、兄としてリンの想いを叶えてやりたいと強く願った。
───新作料理、食べに来ませんか?
ブログを始めてからというもの、一日も休むことなく更新を続けている。そのお陰で言葉だけは無駄に覚えた。クリスマスイルミネーションが輝くころ。とある読者からメールが届いた。それは、秋ごろからコメントをくれ始めたご婦人からである。ブロガーにとって、コメント欄が賑わうことは有り難い。だから、全員が大切な常連様。小学生の孫がいるというのだから、年の頃なら還暦を過ぎた辺りだろうか。
───いつもブログを楽しく拝見させて頂いています。アー君さん、何となくですけれど、ブログを拝見しているとお近くにお住まいのように思います。実は私、小さなレストランを経営しています。よかったら、うちの新作メニューを食べに来てもらえませんか? もちろん、高校生からお代なんて頂きませんよ。お友達がいらっしゃったら、是非ともご一緒にお越しくださいませ(笑)
毎日のようにコメントをくれるご婦人である。せっかくのお誘いを断るのも悪い気がした。店の名前はハンドルネームと同じ『まほろば』。レストランの名前から調べると店は隣町にあった。バスで一駅の向こう側。これも何かの縁である。オレはリンを誘って行こうと思った。丁度良い口実ができたのだから。妹のお礼がしたかった。
───リン。ブログの読者さんがレストランを経営していて、新作料理の試食を依頼されました。どう? よかったらオレと一緒に行かないか?
その夜、オレはリンへ誘いのメールを飛ばすとトンボ返りで返事が来た。
───うん、行きたい、行きたい、すごく行きたい。
オレはまほろばさんと日時を決めた。そして、リンと一緒にレストランへ出掛けた。一緒に道を歩くのも、一緒にバスに乗るのも、一緒に食事をするのも。何もかもが初めてだった。
───純白の長袖ワンピにワークマンのジャケットって?
何だ、何だ、ご褒美か?
私服姿の可愛らしさにめまいする。肩から掛けたポシェット。そのひまわりの柄が印象的だった。クリスマスシーズンに夏のそよ風。天にも昇るとはこのことである。初めてづくしの百烈拳にオレの心は浮かれていた。お隣さんなのにバス停で待ち合わせをする。それはリンからの提案だった。オレよりも先にリンはバス停で待っていた。遅刻じゃないのにいつもリンを待たせてしまう。軽く罪悪感を感じつつ、ふたりでまほろば行きのバスに乗り込んだ。その先に、人生のターニングポイントが待ち構えているなど知る由もなかった。
───レストランまほろば
まほろば=すばらしいところ。
ここだ。オレはリンと三角屋根の小さなレストランの中に入ると、大きなクリスマスツリーが目に飛び込んだ。店主の趣味なのだろうか? 沢山の猫の置物も飾られていた。小さいながらも何処かしら懐かしい雰囲気の店構えだ。天井はなく吹き抜けである。だから、柱も、梁も、構造体全てが露出している。この開放感が相まって外見以上に店内は広々と感じた。
「いらっしゃいませ」
品のある初老の女性が案内に出てきた。リンの顔を見て一瞬表情が硬くなる。彼女を見れば男女問わず誰でもそうなる。至極当然の反応だ。だからオレは別に気にも止めなかった。
「あの、ブログの……」
「あ、アー君さん??? 初めまして。そうなの。来てくれたの。ありがとうございます。とっても嬉しいわ。さぁ、さぁ、こちらです」
とても嬉しそうに、オレらは店の奥の席に通された。テーブルには『予約席』という札が立てられている。ホントにあるんだぁ〜予約席。オレたちだけの立て札に、少しだけ大人に近づいた気分になった。椅子に座って料理の到着を待つ。ただそれだけなのに緊張していた。いつもと違って、今日のリンはお淑やかであった。大人の男はこんな場面で、どうやって場を持たせるのだろう。一分が十分にも感じられた。
しばらくするとハンバーグが運ばれてきた。ハート型の鉄板の上。ジュージューと肉は幸せのハーモニーを奏でている。ハンバーグの横に少し小さなハンバーグが並んでいる。大きなハンバーグの上には目玉焼き。小さなハンバーグの上にはハート型の赤いニンジン。付け合わせには、蒸したブロッコリーとスイートコーン。それにカラリと揚げたポテトである。
「これ、息子の新作なの。食べ終えたら感想も教えてね。では、お嬢さんもごゆっくり(笑)」
何だよ、何だよー。感じ良すぎじゃん、このお店。オレは少し興奮を覚えていた。高一の若造なんてこんなものだ。大人から見ればチョロいガキであった。
「ねぇ、どうしてハンバーグが二つなのかしら。片っぽだけ目玉焼き? 何処かで見たことがあるけど、思い出せない。でも、何処かで食べた味がするの…ニンジンの花言葉は幼い夢、か…。」
小説の伏線を回収するが如く、リンは首を捻りながら料理を食べている。その一方で、オレはというと、ハンバーグを味わいながら頭の中でレビュー記事を書いていた。今夜、投稿する記事である。オレのブログ程度では宣伝効果は皆無である。けれど、記事にするのはオレからのささやかなお礼の気持ちだ。
───まほろばのハンバーグ。それは、バイキングでみつけた母の味。筋肉質な歯ごたえのある食感に加えてこのソースがたまらない。デミソースの風味豊かでエネルギッシュな勢いさえ感じてしまう。勢いを助けるコレは醤油である。実に旨い。なのに、何故だか微かな悲しみも感じる。なんだ、この鼻に抜ける爽やかな息吹は? 青い旋風ワサビであった。この料理には、秘められた物語が隠されているような。そう、高校生の若造は思ったんだ……みたいな、なー(笑)
いつもそう、いつだってそう。
食べながら、こんなふうに頭の中で文章を描かなければ臨場感を生み出せない。まだまだ未熟なオレは、その場でなければ書けないのだ。ブログを始めてから何かを食べると、その感想をその場で活字にする癖がついていた。食事を終えて、もう一度、頭の中の記事を読み返す。よし、できた。後はポメラに書き出すだけだ。
───今宵の投稿、その準備が整った。
食後の珈琲を飲み終えて、オレは大きく息をついて両手を合わす、ごっつぁんです! リンは満足げにオレンジジュースを飲んでいる。ストローを吸うたびに気合いを入れてる感じが可愛くみえた。そうだよな、まだこの子の年は中学生なのだから。
「お味は如何でしたか?」
「ありがとうございます、まほろばさん。とても美味しかったです。でも、どうしてハンバーグが二つなんですか?」
「このハンバーグにはね。今は亡き姉への想いを込めたハンバーグなの。だからふたつ並べたの。大きい方の上に乗ってる目玉焼きはお月様。姉は好きな人をそう呼んでいたの。あ、だったじゃないのよ。今でもずっと愛し続けている人。だから、小さい方のハートのカタチで姉の恋心を表現したの」
───ここでも出るのか…お月様。
なんだか曾爺ちゃんの話と同じだな。世の中には聞いたような話があるものだ。令和の時代にお月様ブームでもあったのだろうか。オレは素直にそう思った。
「でもどうして、見ず知らずのボクをお店に招待してくれたのですか?」
婦人は微笑みながら語り始めた。懐かしいような、切ないような、さみしいような微笑みだった。
「私がまだ少女だったころ。今から五十年ほど昔の話よ。そうね、遠い昔のお話。私にはね、姉がいたの。頭が良くて、賢くて、そこのお嬢さんのような色白の美人さんで、誰よりも私に優しくしてくれた姉だったわ。私はね、その姉が大好きだった。当時、姉が読んでいたブログがあったの。その影響で私も読み始めたブログだったの。癖になるような文章が面白くてね。私は更新が止まるまで読み続けたわ。姉が逝ってからも、二十年くらい続いたかしら。そのブログの文体が、アー君さんと瓜二つだったの。不思議よね(笑)」
まほろばさんは、真っ直な目でオレを見た。息子さんが持ってきたレモンティーをひと口含んで、途中だった話の続きを始めた。ゆっくりと、懐かしむように。
「特に食べ物の記事がそのまんま。おばさん、記事を読んで涙が出ちゃった。だから、懐かしくてコメントを書いたの。そうしたらその返事までソックリなの。正直、彼が蘇ったのかと思うほどだったの。本当にそっくりだった」
まほろばさんは、少し涙ぐみながらも話を進める。その語り口が幼い少女のように見え始めた。きっと昔はリンのような美少女だったのだろうな。オレは漠然とそう思った。
「ブログの作者に姉さんは恋をしたの。深い恋に落ちちゃったの。幼い私の目から見てもぞっこんだったわ。でも、ふたりは変な関係じゃなかったのよ。最後まで読み手と書き手だったの。お互いに逢うことすらなかったわ。最後まで、声も顔も知らない間柄だったの。それでも姉は本気だった..最後まで告白すらしなかった.」
まほろばさんの口から、あのファイルに書かれたそのままが語られる。でも、それはない。偶然の一致にすぎない。オレは動揺を隠しながら話を聞いた。
「姉は重い病気でね、若くして亡くなったの。病気のことは彼も知ってた。余命宣告を受けたことも。だから、彼は姉が好きそうなお話を毎日ブログに書き続けたの。いつの間にか、ふたりの間に目に見えない絆ができたのね。姉は命が終わる直前まで彼のブログを読み続けたの。お薬を飲めば痛みから解放されるのに、お薬を飲むと頭がボーっとするからって。ちゃんと読みたいって。だから痛みを堪えながら読み続けたの。読み続けながら生きようとしたの。今になって思えば、彼の記事は姉へのラブレターだったのかもしれないわね。ごめんさいね、変なことを話しちゃって……」
静寂がオレたちを包んだ。もし、この偶然がオレの予測どおりなら、オレは、まほろばさんの名前を知っている。
「その人には奥さんとお子さんがいてね。お孫さんまでいたわ。そんなのお爺ちゃんよね? あり得ない。私はね、どうしてそんな人を好きになったのか不思議だったの。でもね、私、姉がいなくなってから、その人とメールで何度かお話ししたの。私はまだ幼くて、まだ何もよく分からなかった。けれど、姉が彼が好きになった気持ちが少しだけ分かった気がしたわ。暖かくて優しい。子どもだった私の話に真摯に向き合ってくれた。何処となくだけれど、姉と同じ香りがする人だった。姉はその人をお月様って呼んでいたのよ。だから、大きなハンバーグには目玉焼き(笑)」
───そうなのか?
オレは正直混乱していた。混乱どころか動乱だった。目の前で、克明にファイルの中身が語られているのだ。誰も知らない筈の出来事を、なぜ、この人が知っているのか知りたくなった。
「ボクが間違っていたらごめんなさい。もしかして……あなたはユキさん?」
まほろばさんの目から大粒の涙があふれ出た。そして、リンに向かってこう言った。今まで以上に優しい声が心に響く。
「お姉さん、やっと望みが叶ったのね。私がたずねた、999本のひまわりの花言葉。ねぇ、覚えてる?」
リンは大きく頷いた。オレを見つめてこう言った。
「何度生まれ変わっても貴方を愛す」
小包の謎が解かれてゆく……。
リンは、沢山のひまわりが描かれたポシェットからカードを一枚取り出した。そこには沢山のひまわりとひとりの女性が描かれていた。ユキさんは懐かしむようにその絵を覗き込んだ。それは、曾爺ちゃんのファイルに挟まれていた絵と酷似していた。
「この絵は、アー君と出会う前に私が描いた絵です。この絵が評価されて、夏休み前に海外に行ってきました。あの小包の中身に目を通したとき、あの人が描いた絵を見たとき、全身が震えたわ。ユキちゃん、ただいま」
リンの目からも涙が溢れた。おもむろに、リンは立ち上がってユキさんにハグをした。驚きの連続に、オレの思考が追いつかない。ただ呆然とふたりを見守った。
「可愛いねー、大好きよ」
リンがユキさんに声をかけた。ユキさんは言葉にもならない唸るような声でこう言った。
「きっとそうだと思ったの。あれは彼の文章だから。誰にも真似できない間があったから。もし、彼が蘇ったのなら、きっと近くにお姉さんがいると思ったの。だから、お食事にご招待したのよ。お姉さんが帰ってきた。昔と同じ言葉で抱きしめてくれた。お姉さん、おかえりなさい。ユキは、お姉ちゃんの言葉を信じて待っていたのよ。ごめんなさい、私、こんなおばぁちゃんになっちゃった」
「ユキちゃん、ただいま。今でも綺麗よ。今度、また一緒に本屋さんへ行こうね(笑)」
「えー、お姉さん。もう、本屋さんは何処にもないのよ(笑)」
感動的な再会だった。
でもオレは冷静に戻っていた。あの人の生まれ変わった姿がリンなのは九分九厘本当なのだろう。けれど、オレが曾爺ちゃんである確率は限りなくゼロである。オレとの共通点がまるでない。オレはふたりに真相を告げる義務があった。
「ユキさん。ボクの曾爺ちゃん、小説書いていませんでしたか?」
「書いてました。姉の残したメモから書き上げた小説があります。その題名は……」
「ブログ王」
ユキさんの瞳が大きく開く。
そしてそれが、ユキさんを引き寄せたオレの文体のカラクリである。目の前の奇跡の連続はただの偶然にすぎない。『ブログ王』は何も書けないオレが手本にした小説だ。文章が似ていて当然なのだ。
───オレはその事実をふたりに話した。
どんな理由があろうとも、彼女たちに嘘はいけない。
コメント
ハンバーグの描写が素晴らしくて「それ、美味しそう…」食欲を掻き立てられました。その後、再現してみたくなりハンバーグを作ってみましたが、デミソース…。人生で一度も作った事がないし、作り方もわからない。料理も下手だし、結局、玉ねぎを炒めて醤油ベースのオニオンソースにわさびを入れました。ううっ、涙が…。わさび入れ過ぎた?。上手く作れなかったけど、思わず、食べたくなるほどの食レポ、小説内でも最高ですね。
マコトさん、ありがとうございます。食レポは好きなので作中に盛り込んでみました。ユキさんのハンバーグは家庭料理の延長線上にあるんじゃ無いかな?。そう思って書いてみました。当初、目玉焼きは乗っていませんでした。後で思い出したように乗せました。そのあとハートを後付けです。お月様、忘れちゃダメですよね(汗)。
凄い才能だと鳥肌がたってます。
え?これ本編じゃなくてショートだよね?って途中から思った。
ヤバい
ありがとなー(笑)。
もう少しで最終回でーす。